高畑勲監督の『かぐや姫の物語』における大きな謎、「かぐや姫はなぜ地球に降ろされたのか?地上に降りる前に何があったのか?」
この謎は、作品中のかぐや姫の言葉から何となく想像できます。しかし事細かには語られていません。これは高畑監督が地球に降りる前の出来事は「想像して欲しい」という理由から、「出発前の月の場面は要らない、いや、ない方がずっと良い」と判断したからです。
ですが、映画パンフレット、または『ロマンアルバムエクストラ かぐや姫の物語』に収録されている『企画「かぐや姫の物語」』には、「かぐや姫はなぜ地球に降ろされたのか?地上に降りる前に何があったのか?」が詳細に書かれているのです。今回はそちらをご紹介します。以下、当該部分の抜粋です。
かぐや姫は、清浄な光に満ちあふれる月の王の娘である。姫は地球から帰還した女(羽衣伝説の一人)から、地上のことを聞いて彼の地に憧れる。
女によると、輝きに満ち、清浄だが色のない月とちがい、地球は色彩に満ち、青い海があり、魚が泳ぎ、地上には草木が茂り、水が流れ、花が咲き、果実が実り、大小じつにさまざまな生きものがいる。そしてその上に雲が飛び、風が吹き、雨が降り注ぐ。人の子どもも、ほかの生きものと同じように、愛らしく、楽しく、それはそれは素晴らしい。
けれども、清らかで美しく、年をとることもなく心配事もない月の人とちがい、地上の人々は喜怒哀楽に身を焦がして、愛別離苦の情に振り回されている。不老不死どころか、彼らの限りある命さえ、生老病死に苦しめられる。さらに、人はしばしば醜く意地悪く嫉妬深く、争いを好み、さかんに他人をだまし、裏切るという。
このように、人間に関しては否定的に語られたにもかかわらず、かぐや姫には地球がひどく魅力的なところに思えただけでなく、女がほのめかす人間の「喜・怒」や「愛」どころか、「哀」にさえ心惹かれ、どうしても行ってみたくなる。
禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し、姫は、地上の思い出によって女を苦しめた罪を問われる。そして罰として、姫は地球に降ろされることになる。だがそれはかぐや姫にとって願ってもないことだった。姫は勇んで地球に旅立つ気になっている。
そんな姫を心配した父王は、姫の地球行に条件をつける。地球では、地球人として生まれなければならないこと。そのとき、月での記憶は消えること。不自由なく暮らしていけるように、仕送りをすること。もし、姫のみに危機があれば ―― それは必ずあるに決まっているのだから ―― 無意識に姫が発するSOSをキャッチして、最小限そこから脱け出させてやること。そんな保護にもかかわらず、もし、姫が一度でも「帰りたい!」とか、「死んでしまいたい」「こんなところにいたくない」とかのテレパシーを送ってきたならば、その時点で地球が穢れた世界であることを姫みずからが認めたのだから、罪の償いが終わったものとして、直ちに迎えを差し向けることに。その段階で姫は月との交信によってそのことを知らされること。
女によると、輝きに満ち、清浄だが色のない月とちがい、地球は色彩に満ち、青い海があり、魚が泳ぎ、地上には草木が茂り、水が流れ、花が咲き、果実が実り、大小じつにさまざまな生きものがいる。そしてその上に雲が飛び、風が吹き、雨が降り注ぐ。人の子どもも、ほかの生きものと同じように、愛らしく、楽しく、それはそれは素晴らしい。
けれども、清らかで美しく、年をとることもなく心配事もない月の人とちがい、地上の人々は喜怒哀楽に身を焦がして、愛別離苦の情に振り回されている。不老不死どころか、彼らの限りある命さえ、生老病死に苦しめられる。さらに、人はしばしば醜く意地悪く嫉妬深く、争いを好み、さかんに他人をだまし、裏切るという。
このように、人間に関しては否定的に語られたにもかかわらず、かぐや姫には地球がひどく魅力的なところに思えただけでなく、女がほのめかす人間の「喜・怒」や「愛」どころか、「哀」にさえ心惹かれ、どうしても行ってみたくなる。
禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し、姫は、地上の思い出によって女を苦しめた罪を問われる。そして罰として、姫は地球に降ろされることになる。だがそれはかぐや姫にとって願ってもないことだった。姫は勇んで地球に旅立つ気になっている。
そんな姫を心配した父王は、姫の地球行に条件をつける。地球では、地球人として生まれなければならないこと。そのとき、月での記憶は消えること。不自由なく暮らしていけるように、仕送りをすること。もし、姫のみに危機があれば ―― それは必ずあるに決まっているのだから ―― 無意識に姫が発するSOSをキャッチして、最小限そこから脱け出させてやること。そんな保護にもかかわらず、もし、姫が一度でも「帰りたい!」とか、「死んでしまいたい」「こんなところにいたくない」とかのテレパシーを送ってきたならば、その時点で地球が穢れた世界であることを姫みずからが認めたのだから、罪の償いが終わったものとして、直ちに迎えを差し向けることに。その段階で姫は月との交信によってそのことを知らされること。
これでかぐや姫は「罪」によって強制的に降ろされたというよりは、むしろ自ら望んで地上に降りたがっていたことが分かります。
そしてお迎えのシーンの描写から何となく想像できることですが、かぐや姫は月の王の娘でした。つまり月の王であるこの人は父親だったのです。
このシーンは本当の親子の対面だったわけです。
さらに高畑監督のエッセイ集『アニメーション、折りにふれて』には、冒頭に入れることを止めたシーンにおける父王のセリフ(1958年に『竹取物語』の漫画映画化が企画された際、高畑監督が書き、ボツになった企画案に収録されているもの)が収録されていますので、そちらも併せてご紹介します。
お前は、かの禁断の星から帰りし者の、穢れた記憶を呼び覚まし、苦しめるという罪を犯した。そのうえお前はその穢れた星になぜか、憧れを抱いている。これも罪だ。だから、罰としてお前を下ろそう、お前が行きたがっているあの穢れた星へと。
これ、そのように嬉しそうな顔をするでない。お前はあの星ばかりを見つめて、私の話などうわの空だが、これは恐ろしい罰なのだ。お前はかの地で穢れにまみれ、苦しみながら過ごさねばならぬのだぞ。
だが、お前がその穢れに耐えきれず、もうこの星にはいたくないと心で叫んだならば、そのとき、お前の罪は許される。お前自身があの星の穢れを認めたのだから。そして迎えが遣わされ、この清らかな月へとお前は引き上げられよう。
これ、そのように嬉しそうな顔をするでない。お前はあの星ばかりを見つめて、私の話などうわの空だが、これは恐ろしい罰なのだ。お前はかの地で穢れにまみれ、苦しみながら過ごさねばならぬのだぞ。
だが、お前がその穢れに耐えきれず、もうこの星にはいたくないと心で叫んだならば、そのとき、お前の罪は許される。お前自身があの星の穢れを認めたのだから。そして迎えが遣わされ、この清らかな月へとお前は引き上げられよう。
いかがでしょうか?高畑監督は不要と判断したものですが、これらを読んだことで『かぐや姫の物語』への理解がいっそう深まったのではないでしょうか?そしてこれが「かぐや姫の犯した罪と罰」だったというわけです。
結果的に「ここに居たくない!」と心で叫んでしまい、知らず知らずのうちに月にテレパシーを送ってしまったかぐや姫。しかしそれは、彼女が「地球が穢れた世界であることを認めた」わけではなかった。でもその想いは月の人々には理解できなかった。月に帰った彼女は、その後どんな人生を過ごしたのでしょうか…?
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