『風立ちぬ』は今までのジブリ作品に比べ、やや分かりづらい言葉や描写が目立ちます。そこで今回は、『風立ちぬ』を理解しやすくなる豆知識&用語解説を書籍『ロマンアルバム エクストラ 風立ちぬ』からの情報を中心に、一部抜粋・編集してご紹介します。
■少年時代の豆知識&用語
フラップ・ハンドル
二郎が“鳥”に乗って飛び立とうとする時に丸いハンドルをキコキコ回しているが、実際、1930年代になって初めてフラップ(高揚力装置)が実用化された時には、その出し入れに使われたのがこれとよく似た丸ハンドルだった。恐らく、飛行機マニアの宮崎監督はその辺りを意識してこうした描写を持ち込んだのだろう。
柔道
二郎は柔道技で悪童少年を投げ飛ばすが、(実際の)堀越二郎自身もかなりのスポーツマンで(青年期の二郎は180センチを越える長身だった)、特に柔道は最も打ち込んだスポーツの一つだった。
■学生時代~三菱時代の豆知識&用語
本庄
服部と共にこの映画に登場する数少ない実在の人物がモデルのキャラクター(名前は出てこないが、九試単座戦闘機の設計陣の中で唯一名前が付けられている曽根嘉年も実在の人物)。本庄季郎は堀越二郎と並ぶ三菱のエースだった人物で、日本軍機マニアの間では九十六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機の主任設計技師として、あるいは病気の堀越二郎に代わって零式艦上戦闘機三二型の改設計を担当した際に、零式艦上戦闘機の翼端を切り取った人物として知られている(後のほうは、もうちょっと悪名になっている。別に本庄の責任では無いのに……)。映画では同級生のように描かれているが、実際は一つ上の先輩である。また、二郎の欧米研修には同行していない。
服部課長
本庄とともに実在の人物がモデル。三菱重工業の中核を担っていた設計技師の一人で、設計主任を担当した機体としては、九〇式機上作業練習機などがある。本編では二郎の良き理解者として描かれているが、実際に堀越二郎が主任設計技師に抜擢された陰には服部の力が大きく働いていたという。
NACA
二郎は鯖の骨を見て「同じ翼断面がNACAの規格にあるぞ」と言うが、このNACA(アメリカ航空諮問委員会)は、アメリカが航空技術の発展を目指して設立した国家機関で、現在のNASAの前身でもある。ここで言う規格とはNACAが風洞実験のデータと共に発表していた翼断面形のこと。
一銭蒸気
東京に訪ねて来た加代と二郎が乗るのは一銭蒸気と呼ばれていた川船。今でこそ観光目的以外の舟運は廃れてしまったが、当時の東京はまだ水郷都市だった江戸の面影を残しており、特に船賃が一銭と割安だった蒸気動力の川船は庶民の足として広く利用されていた。当時は葉書が1銭5厘、煙草のもっとも代表的ば銘柄だった「ゴールデンバット」は一箱7銭だった。
牛車
この映画では、牛車によって飛行機が運ばれるシーンが度々登場するが、これは実際にあった話。ろくに舗装もされていない当時の道路状況では自動車による運搬では振動によって飛行機が破損してしまうために否応無く取られた措置で、零式艦上戦闘機の生産が本格化した後も主翼を組み立て工場まで運ぶのに牛車が使われ続け、それが生産増強の大きな制約になった。
落下傘降下
隼型戦闘機が試験飛行で空中分解し、操縦士が落下傘で脱出するエピソードは実話に基づくもの。ただし、この時破損したのは垂直尾翼の上3分の1ほどのところで、操縦士はその後もしばらく自力で滑空し、エンジンを切った後で脱出したという。
シベリヤ
二郎が仕事帰りに購入していたのは、羊羹をスポンジでサンドするというダイエット中の女性が聞いたら気絶してしまいそうなスイーツ。本庄は紅茶が淹れられるのも待たずにムシャムシャ食べていたが、普通はそんなことをすると頭が痛くなること請け合い。典型的な和洋折衷だが、当時としてはモダンな菓子だったのだろう。
デッソウ
二郎と本庄が視察に行ったドイツ北部の町。ここが視察先に選ばれたのは、陸軍が導入を決定したユンカース社の工場があったため。「取材しても第二次世界大戦の徹底的な空襲のために当時の街並は残ってないだろう」ということで、今回はドイツへのロケハンは行われていないそう。
鳳翔
二郎と黒川が十三式三号艦上攻撃機で着艦した空母。日本初の本格的な空母だが、艦体その物は巡洋艦と戦艦の中間くらいで、後の空母に比べるとかなり小型。着艦の際、制動に使っているのはアレスティング・フック(着艦フック)と同じワイヤー。
失速・着水する戦闘機
空母・鳳翔に乗り込んだ二郎と黒川は三菱が設計した三式艦上戦闘機の発艦訓練を視察するが、二番機が発艦に失敗し、危うく海の藻屑になり掛ける。現代とは違って、まだカタパルトの無かったこの時代は、空母が風上に向かって全速で航行する向かい風を利用して、なんとか飛び立つしか方法が無く、当然、発艦に失敗する機体も多かった。
特高
二郎を付け狙う特高とは、特別高等警察の略。『蟹工船』の作者・小林多喜二を拷問死させた事件でも知られているように、共産主義者を中心とする思想犯の探索・検挙がその主な役割。
高原病院
本作品の隠れたモチーフとなっている、トーマス・マンの作品『魔の山』でも結核患者に対して、高原の寒風に敢えて身を曝す治療が行われるシーンが出て来る。カストルプという名前も『魔の山』に登場する人物からの引用。
結婚の口上
黒川が二郎と菜穂子の結婚式で述べる口上は、スタッフによると宮崎監督のオリジナルだとか。ただし、宮崎監督はかつて某公共放送で放映されていた『ふるさとの伝承』という番組の大ファンだったので、もしかしたら何か参考になったものがあったのかもしれない。噂によると、ジブリ出版部のスタッフが元ネタを探して『ふるさとの伝承』の映像を観直しているとか……。
設計図
映画の中で二郎は設計図を家に持ち帰っているが、国家の最高機密である戦闘機の設計図を持ち出すのはいくら主任設計技師の二郎でも現実的には不可能。おそらく、少しでも長く菜穂子の側に居たいという強い愛情が軍事機密という障害を取り払ったのだろう。
九試単座戦闘機(九六式艦上戦闘機)
堀越二郎が生んだ最初の世界水準。九試単座戦闘機には、堀越二郎という設計者の個性が他のどの機体よりも色濃く表れていると言う声もある。(中略)もちろん、機体設計だけで無く、その飛行性能も画期的だった。九試単座戦闘機は、速度性能・機動性の双方で当時の艦上戦闘機を大きく上回る高性能を叩き出す。それは当初の要求性能をも大きく凌駕するほどだった。
劇中、試験飛行から帰還した操縦士は、二郎に歩み寄って感謝の言葉を述べる。二郎の夢を、その場の全員が共有した瞬間だった。夢が、美しくあることが出来た、最後の――。
零式艦上戦闘機(通称:零戦)
九試単座戦闘機に続いて二郎が設計した機体。試作(十二試艦上戦闘機)に当たって、海軍が提示してきた要求仕様はほとんど実現不可能なほどに欲張った物だったが、二郎は敢然とその不可能に挑戦。結果的に日本の航空史上最高の傑作機を生み出す。しかし、その輝きも長くは続かなかった。後継者に恵まれなかった零戦は、戦争の最後に二郎が思ってもいなかった末路を歩むことになるのだった。
カプロニ Ca.60
カプローニの回想の中で登場した飛行艇『カプロニ Ca.60』も実在した機体であり、実際にわずかな飛行時間で墜落・水没してしまっている。(テスト飛行は1921年、イタリアのマッジョーレ湖で数回行われたが、死傷者は出なかった)
9つの翼を持ち、エンジンは8つ、乗客数100名、長さ 23.45m、高さ9.15m、翼幅30m、重量14,000 kg、巡航速度は130 km/hが想定されていた。残った機体の一部は現在もジャンニ・カプローニ航空博物館などに展示されている。
■最後に…
▼この作品に登場する「堀越二郎」は、かの零戦の設計主務者である堀越二郎と、小説『風立ちぬ』の原作者である堀辰雄を合わせた人物である。
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左:堀越二郎 / 右:堀辰雄 |