2014-08-15

「清太は現代の少年」 高畑勲が書いた『「火垂るの墓」と現代の子供たち』


火垂るの墓。1988年、『となりのトトロ』と同時上映されました。
http://www.ghibli.jp/10info/005863.html より

終戦の日、今回は、公開当時の映画パンフレットに書かれた高畑勲監督の『「火垂るの墓」と現代の子供たち』を抜粋してご紹介したいと思います。


もしいま、突然戦争がはじまり、日本が戦火に見舞われたら、両親を失った子供たちはどう生きるのだろうか。大人たちは他人の子供たちにどう接するのだろうか。
 「火垂るの墓」の清太少年は、私には、まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない。そしてほとんど必然としかいいようのない成行きで妹を死なせ、ひと月してみずからも死んでいく。

(中略)


(清太は)当時としてはかなり裕福に育ち、都会生活の楽しさも知っていた。逆境に立ち向かう必要はもちろん、厳しい親の労働を手伝わされたり、葉を喰いしばって屈辱に耐えるような経験はなかった。(中略)清太は未亡人のいやがらせやいやみに耐える頃が出来ない。妹と自分の身をまもるために我慢し、ヒステリィの未亡人の前に膝を屈し、許しを乞うことが出来ない。未亡人から見れば、清太は全然可愛気のない子供だったろう。


(中略)


清太のとったこのような行動や心の動きは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。いや、その子供たちと次代を共有する大人たちも同じである。

 家族の絆がゆるみ、隣人同士の連帯感が減った分だけ、二重三重の社会的乃至管理の枠にまもられている現代。相互不干渉をつき合いの基本におき、本質に触れない遊戯的な気のつかい合いに、みずからのやさしさを確かめあっている私たち。戦争でなくてもいい、もし大災害が襲いかかり、相互扶助や協調に人を向かわせる理念もないまま、この社会的なタガが外れてしまったら、裸同然の人間関係のなかで終戦直後以上に人は人に対し狼となるにちがいない。自分がどちらの側にもなる可能性を思って戦慄する。そして、たとえ人間関係からのがれ、清太のように妹とふたりだけでくらそうとしても、いったいどれだけの少年が、人々が、清太ほどに妹を養いつづけられるだろうか。

(中略)


 
いま「火垂るの墓」は強烈な光を放ち、現代を照らしだして私たちをおびえさせる。戦後四十年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感し得る時代はない。(後略)

アニメ映画版としての『火垂るの墓』が上映されたのは1988年。戦後40年はとうに過ぎました。しかし、高畑監督の言葉は今でもまだ通じるのではないでしょうか。

高畑監督の言葉に、この現代の生活に浸かりきった私たちは、どう答えることができるのか。真摯に受け止めるのか、あるいは杞憂だと、時代錯誤だと言い切るのか、その中間を行きつつ、この時代を肯定してみせることはできるのか。


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