2023-11-02

『君たちはどう生きるか』公式ガイドブックに収録されている宮﨑監督のメインスタッフへの作品説明は多くの人が読むべきものである


ジブリ作品『君たちはどう生きるか』の公式ガイドブックが発売されました。こちらは作品を上映した映画館、TOHO animation STORE、三鷹の森ジブリ美術館オンラインショップ「マンマユート」で販売されています。そしてこの作品を理解する上で、雑誌SWITCH9月号と同じく非常に重要な一冊となっております。(※SWITCH9月号は、10月号の対談などと合わせて『ジブリをめぐる冒険』というタイトルで書籍化されましたので、この投稿の最後に掲載いたします)


ほとんどのページが重要かつ面白いのですが、今回は、特に宮﨑監督が2017年7月3日にメインスタッフへ行った作品説明が作品および宮﨑監督のパーソナルな思想を理解する上で非常に役に立つため、そちらをご紹介します。

以下、監督の作品説明です。

 この「君たちはどう生きるか」という吉野源三郎が書いた本は、少年というのがどういう風に個というものを確立して生きていくのかという事が書かれていて、人生の指針になるものをきちんと残しておこうという意志のもとに書かれた本です。今も文庫本で復刻されていて名著として未だに生き残っている本です。で、これは題名に使っただけで、中身とは関係ありません(笑)。

 この作品のきっかけになったある本がありました。
 今まで色々映画を作ってきましたけど、一番楽なのは明るい元気な女の子が出てくる話です。その次は、正義感の強い体力の優れている少年が出てくる話です。
 本当は、自分はそうではないので色々内部に抱えていて、それを隠して、今まで生きてきたという事を、その本を読んで気づかされました。
 例えば少年の母親との関係について、はっきりエディプスコンプレックス(注1)に踏み込んでいて、これは太古の昔から始まっている問題だと思うんですけど、そういう闇の部分もちゃんと書いた上で、一人の少年が最後自分の人生を全うする事が出来た、そういう話です。

 注1:エディプスコンプレックスとは、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対する相反する感情を同時に抱く心理の抑圧のことをいう。

 それで自分は、自分にとって致命的(致命的って変な言い方ですけど)に大事な部分を隠してアニメーションを作ってきた、そういう自覚はあります。
 自分は、その部分に映画の中で全然触れていない、それは前から自覚してはいましたけど、少女の方が描きやすかった。なぜなら僕は男だから、少女が持っているよくわからない部分をわからなくても構わないからね。傍から見ていて良さ気な女を集めてやればなんとかなる。少年でいうとアシタカがそうですけども、アシタカはやっぱり空っぽなんです。ですから『生きよう』って言えるんです、変な言い方しますけど。つまりアシタカは彼の子供時代や両親との関係などそういうものからすっぱりと遮断されている。彼にあるのは蝦夷の民の族長の息子であるという誇りだけですから。だから映画の主人公には、何とかなるんです、色んなものがくっ付いていてもね。
 だけど、僕は心の内面に生まれた時から巣食っているものについては、扱うことが出来ないと思っていましたから、そういう映画は作ってこなかった。でも、その本を見たら俺はこのままだと何か大事な事を言わないまま終わってしまうんじゃないかなっていう……それは前からそう思っていたんですけど、それは言わなくていいやって思っていたんです……でも、そこで……やるのかなって(苦笑)。
 なので、その本はきっかけになった本ですけど、内容は別です。
 Aパートをみればわかると思いますが、自分の母親が死んでしまった、だけどまだその死 は受け入れられない。その一方で、自分のお母さんとよく似た叔母さんとお父さんはできていて、お腹に子供がいるっていうのがわかるというような環境の中で、「母親はまだ生きている」と言い張る青鷺が出てきて……というところからこの少年はこの闇の中にだんだん引きずり込まれていくというのがAパートです。こんな話をAパートで作ってしまって、Bパート以降どうなるのかって、案の定コンテが進まずひどい事になっていまして(苦笑)。

 僕は保育園の子供たちなんかを見ている分には良いですが、実際リストカットをする少年・ 少女達に出会った時に、どれほど自分が無力かってことは今まで何度も思い知らされています。リストカットをこのままだとこの子はするなと思っても、もうどうしていいかわからないというね。現実的に雑木林の管理とか川の掃除なんかをやっているとそういう事例に出会うんですよ。
 それに対する答えをここで出そうとしているのではないですけど、この世界の中に具体的に蜷局を巻いて存在しているものを一回取り上げて作ってみようって。と思ったら、今までの映画の作り方と若干違う中身にならざるを得なくて、作画の手間もはっきり掛かります。それから背景もですね。やたらにでかい同じ屋敷の中を彷徨う事になりますので、決して気が晴れないと思います。そういう世界にならざるを得ないと思っています。
 この世界は、ほとんど僕の記憶の中から作られています。実際、これほど巨大な屋敷ではなかったけど、それなりに大きな別荘に居た時期がありまして、戦時中の疎開先です。
 その時の体験というものが下敷きになっていますので、こんなブルジョワでは決してありませんでしたが。でもここに出てくる勝一という父親は自分の父親にそっくりです。そういうことまで言う必要があるのかはわかりませんが……。

 ただ自分の回顧談を作りたいと思っているわけではなくて、この罠からどうやって自分達の主人公が抜け出してくるか、抜け出してこの世は生きるに値すると思えるようになるというのが説得力を持って描けるか、が自分たちのテーマだと、いや課題だと思っています。
 いま話したような中身を持った映画が、世の中にどういう風に受け入れられていくのかというのは、まったく予測がつきません。
 いじけた少年の話にはしたくないと思っています。果敢に戦っていく少年にしたいと思っています。まー、やってみなきゃわからないですね(笑)。


今作で、宮﨑監督は「今まで描いてこなかった」存在を描こうとしました。それは自分の心の中にあるもの、「明るい元気な女の子」でも「正義感の強い体力の優れている少年」でもない、心に闇を抱えた少年。

ここで語られている「きっかけになった本」とは『失われたものたちの本』ではないかと言われています。




この作品を元にして、宮﨑監督は「病弱だった母への強い愛」を、エディプスコンプレックスを隠すことなく『君たちはどう生きるか』で描いています。そして「少女のほうが描きやすかったから」描いていたという言葉に続いて、監督は意外なキャラクター、『もののけ姫』のアシタカのことを語ります。「アシタカは空っぽ」なのだと。

ここで監督はおそらく、アシタカは、監督自身や私たちが抱えているような人間関係が生み出す「闇」を持たなくて済んでいるゆえに、真っ直ぐ、ある意味無邪気に他者に「生きろ」「生きよう」と言えてしまうのだと述べているのだと思います。だが、現実的には私たちはそうではない、生きるのは時としてとても苦しいことなのだと、リストカットをする少年少女を見たときの無力感を交えながら、婉曲的に言っています。そしてそれは今作では主人公・眞人が自身を石で傷つけたことにも反映されています。

監督が繰り返し繰り返し「この世は生きるに値する」と語っている意味もここで良く理解できるようになります。「この世は生きるに値する」と、何度も口に、文字にしているのは、本当はこの世界はそうであるとは限らないことを監督自身が誰より分かっているゆえに、そのように自身と他者に言い聞かせるしかないのです。(それはポニョの頃の発言や、著書『本へのとびら』で「子どもたちに絶望を説くわけにはいかない」という言葉として現れています)つまり「この世は生きるに値する」とは、「確信」ではなく「願望」が入り混じっている言葉なのだと言えます。

最後には「この世は生きるに値すると思えるようになるというのが説得力を持って描けるかが自分たちの課題」と言っている監督。それは宮﨑監督の目論見通りに描けたのか。そして、この作品を見た人たちにどこまで伝わったでしょうか。

『君たちはどう生きるか』公式ガイドブックは、作品を上映した映画館、TOHO animation STORE、三鷹の森ジブリ美術館オンラインショップ「マンマユート」で販売されていますので、まだ購入していない方は是非お手に取ってみてください。





【こちらも併せてどうぞ】
安心してください、『君たちはどう生きるか』は、宮﨑監督にも分からない作品です。  

雑誌「SWITCH」 Vol.41 No.9(2023年9月号)から判明した『君たちはどう生きるか』の登場人物のモデル  

知っておけば宮崎アニメがよく理解できるようになる、『もののけ姫』のインタビューで語っていた宮崎監督の言葉