2023-07-21

知っておけば宮崎アニメがよく理解できるようになる、『もののけ姫』のインタビューで語っていた宮崎監督の言葉


今回は、雑誌『別冊COMIC BOX vol.2 「もののけ姫」を読み解く』に収録されている、宮崎監督のインタビューから、現在の私たちにとっても非常に重要で、かつ宮崎監督の思想がよく分かる部分を抜粋してご紹介します。これらは『君たちはどう生きるか』やコミック版のナウシカとも通底している宮崎監督の考え方ですので、知っておくと「宮崎アニメ」をより理解しやすくなるものとなっています。









以下、『もののけ姫』について語りながら、宮崎監督の思想がよく分かる部分を抜粋していきます。

――別々の文化が並立して存在することや、別々の文化であっても共通性があるという認識がこの映画にあると思います。そういう映画をつくるにあたって、現代に向けてのメッセージは。

宮崎  全然ないです。
 メッセージで僕は映画を作りませんから。
 ただ、この映画が現代に共通する点があるとしたら、それは、自然と人間との関わり合いだと思います。
 僕らは、「自然に優しい」とか、「宇宙船地球号」などと一言も言った事はないんです。「自然に優しい映画を作るジブリ」というブランドがかってに横行するようになって、それが嫌なのですよ。
 そう誤解されても、しようがないと思わざるを得ないのですけれど、この十数年、とにかく色々と作品を作ってきて、この大きな転換点にきているのに、「自然に優しいジブリ」で終りたくなかったのです。
 だから、自然と人間との関わり合いをもっと突き詰めて追求して行く。すると、人間のやってきた事の業というか、文明の本質にある攻撃性とかが見えてくる。散々、相手を痛めつけて、おとなしくさせてしまってから、「周りに残った者に優しくしよう」と言っているに過ぎないんです。
 文明の本質みたいなことをちゃんと描かないで、「優しくする人、よい人」「優しくしない人、悪い人」という考え方で切り捨てていくのは、間違いだと思います。
 優しかろうが、優しくなかろうが、人間は自然に対して極めて狂暴に振る舞ってきたんです。
 それで、自分達が選ばれた者であるとか、この人類が一番高等な生き物であるとか言い出す。 ある時には、人類の中のある部分が一番高等だと順番をつけたがる。
 今また、「優しくする人、よい人」「優しくしない人、悪い人」という判断の単純化が進んでいる。そんなものではないんです。よいとか悪いとかでなくて。

 こういう人間の本質みたいなものを据えた、自然と人間との関わり合いを描く映画を作りたいと思っています。 それはメッセージというものでもなく、自分自身に回答が出ていないから、甚だ迷走しながら映画を作ったんです。
 この映画は、「悪い人間が森を焼き払うから正しい人がそれを止めた」という映画ではないのです。
 よい人間が森を焼き払う。それをどう受け止めるかなんです。

以上の言葉は、ほぼ全てが非常に重要な意味を持っていると思います。「メッセージで僕は映画を作りません」「『自然に優しいジブリ』で終りたくなかった」「今また、『優しくする人、よい人』『優しくしない人、悪い人』という判断の単純化が進んでいる。そんなものではないんです。よいとか悪いとかでなくて。」「この映画は、『悪い人間が森を焼き払うから正しい人がそれを止めた』という映画ではないのです。よい人間が森を焼き払う。それをどう受け止めるかなんです。」

ここで言う「メッセージで僕は映画を作りません」というのは、おそらく「伝えたいメッセージがあってそこから映画を作るわけではない」という意味だと思います。『君たちはどう生きるか』などが特にそうですが、明確にメッセージは存在していますので、作品を作っていくうちに監督はメッセージが明確になっていくタイプの人なのでしょう。事実、監督は基本的に作品の結末を考えずに絵コンテ作業に入るそうですので。

『もののけ姫』に関して言えば、エボシは決して悪人とは描かれていません。彼女はタタラ場に住む人々のために、自然すなわち神と戦うことを選択している。彼女は自然や神から見れば悪ですが、タタラ場の人間から見れば生活を潤し自分たちを守ってくれる存在です。この、宮崎監督の人間を単純化することへの否定は、監督の現在まで続く根本的な人間への見方ですので、覚えておいて損はありません。以下、中略してこのように続きます。

 今後、世界中で、いろいろな病気の事に関しても、 政治的な事に関しても、マルチメディアに関してもワサワサといろいろな事が一杯、起こると思うけれど、 そんな事を自慢するよりも、また、デジタル化が進んでいるとか、EQだのIQだの、くだらないことを数値化するよりも、やっぱり大都市の中を流れている河川の水が澄んでいるとか、生き物がたくさんいるのに、 乱暴に獲らないとか、自分の取り分のほんの些かを当然のことのように、他の生き物のために差しだすような国になっている方が、僕は日本の進むべき道なのではないか、と思っているのです。
 ほかに進むべき道なんかないですよ。
 国家目標がなくなったなどというけれど、一杯あるじゃないですか。今頃、ようやく悔い改めているけれど、自然に対して散々、酷いことをやってきたのだから、全部じゃなくて、ほんの少しでいいから、返せばいいのですよ。 才谷さん(※インタビュアーのこと)の収入の全部を出せとは言わない。 才谷さんには、そういう凶暴な所があって、「電気代を払わない」とか、「原発の分は払わない」とか、 そういうのは、おもしろいけれど、でも、原発でつくった電気も使うけれど、「原発が爆けたらみんなで色々苦しみましょう」というのが僕のやり方。
 電磁波が出ている高圧線の下にだって、僕は住みますよ(笑)(※スタジオジブリは高圧線のすぐナナメ下にある)。

これはもののけ姫の頃に行われたインタビューですが、現在も続く問題に対して監督は既にこのように言っていました。自然に対する人間の向き合い方、そして原発。実際に今の私たちはこのように生きなければならなくなっています。

インタビューは一部飛ばしまして、こう続きます。

――そういうおもいを映画をみた人に理解して欲しいとおもっていますか?
宮崎  思っていません。
 無理ですね。 僕は、このアニメーション映画をつくる仕事を駄菓子屋の商売だとおもっていますから。そういう事は、別の立派な人が、沢山本に書いています。
 もう殺してしまったのです。神様を。森の奥に住んでいる神様を日本人は殺してしまった。でも殺してしまったことは、忘れない方がよいと思っています。 そのおかげで、僕らが物質的には苦労しないで、毎日、「またほか弁だな」「またコンビニ弁当だな」と思いつつも喰えるようになった。文明とは、そういうものです。
 神がいましたら、やっぱり、その富を奪うことはできないから、人間は、もっと貧乏だったはずです。文明というのは、人類が自然からの収奪によって、成立しているのですから。文明を全否定したいとは、思わないです。

もののけ姫はまさにこのような思想のもとに作られている作品です。文明が悪いとか、自然に帰るべきだとか、そういう単純な答えではない。人間が文明を築き、便利で快適な生活を送るということは、全肯定や全否定ができるものではないのだ、と。

そして「日本人はもう森の奥に住んでいる神を殺してしまった」という感覚。これに近い話は『となりのトトロ』でも作中で語られていない裏設定として存在しています。実はトトロはかつては日本にたくさん居た存在なのですが、人間との争いで激減してしまったのだそうです。ですから今の日本には神もトトロもほとんど存在していないのです。

(とはいえ、一方で『千と千尋の神隠し』では、まだ異界には神様たちが多数訪れている=まだ日本に神はいる、という設定を作っています。ですから、まだほんの少し、私たちには神や精霊との共存の可能性が残されているのかもしれません)

 ある種の人間達が賢く、ある種の人間達が馬鹿というのではなくて、みんなバカなのですね。人間は、愚かというより、物凄く狂暴な生き物なんだということなのです。
 人間生存の本質には残酷な部分がある。
 他者に対しても、同類に対しても。残酷な部分をはっきりもっています。持っていることを全部なかったことにすると、どこかで噴出する。 暴力というものを悪いものだと片付け、単に否定するのは間違いですね。

人間の暴力的な側面を認めること。「人間は、愚かというより、物凄く狂暴な生き物なんだ」という現実を受容すること。これは『君たちはどう生きるか』やコミック版ナウシカでも語られている重要なポイントです。言い換えれば、宮崎監督はこの点に関しては常に一貫していると言えます。

この点を念頭に置きながら宮崎監督の作品を見ると、実に多くの作品で慈悲と凶暴性を併せ持つキャラクターが居ることが分かります。シンプルな悪や善は実は非常に少ないと言える。ジブリ内の監督の周囲の方の言葉を見る限り、宮崎監督自身がこのような性質を持っているようですので、まさに「宮崎アニメ」は宮崎駿という人物の本質が注ぎ込まれているものと言えます。

思うに、宮崎監督の「反戦への思いは強いが一方で兵器や戦記は大好きである」という矛盾した感覚も、ある種の慈悲と凶暴性の併存であると言えるかもしれません。


ところで当時の宮崎監督がこちら。
今より少しふっくらしているし、やっぱり若い!

ちなみに、このインタビューが収録されている『別冊COMIC BOX vol.2 「もののけ姫」を読み解く』は、現在では中古でしか入手できないようですが、叶精二さんによる論考や批評は叶さんのサイトで同じものが読めますので、もののけ姫を深く理解するためのサブテキストとして一読されることをオススメいたします。
そして、今回ご紹介したインタビューはごく一部の抜粋ですので、可能ならばこの雑誌を読んでいただきたいと思います。