2013/09/30

水木しげる先生の、手塚治虫先生に対する思い


漫画界の巨匠、手塚治虫先生の早すぎる死に関して、近年当然のようにネットで話題になるのが、かの水木しげる先生の言葉。

「手塚治虫は寝ないから早死した。」


これ、実はよく言っている(言わされている)言葉なのですが、
このフレーズだけ見ると、実にぶっきらぼうに、勝ち誇っているかのようにみえます。

しかし、御大の著書『水木サンの幸福論』を読んでみると、その印象は変わります。そこには、命を削って仕事をした手塚先生への敬意や労いが見えるのです。

■『水木サンの幸福論』より、一部省略しながら抜粋

「さて、手塚さんの話をしよう。
私が四十歳をすぎてようやく売れ出したころ、手塚さんはすでに、
押しも押されもせぬ漫画界の重鎮で、スーパースターだった。
だから、そのころの手塚さんは売りだしたばかりの中年漫画家のことなんか
あまり意識していなかっただろう。
だが、私は『ライバルだ』と思ってやってきた。 

若いときから漫画界に君臨してきた手塚さんに対して、 
屈折した思いもあった。」

「けっして仲が悪かったわけではないが、
お互いに敬して遠ざける気配があった。
私は酒が飲めないし、世間一般でやっている『お付き合い』が苦手なので、
同業者の集まりにもあまり顔を出さないから、
手塚さんとじっくり話す時間がなかった。
そもそも、二人とも忙しすぎた。

もっとも、途中から仕事を減らした私と違って、
手塚さんは多忙の中を駆け抜けた。
私の『一番病』という短編漫画は彼をモデルにした作品で、
一番になることばかりにあくせくする棺桶職人を描いている。
他人には狂気さえ帯びた一種の病気のように見えるが、
実は本人は楽しんでいるというのがオチだった。」

「手塚さんが住んでいて、
彼を敬愛する若い漫画家たちが集まった東京・椎名町の
トキワ荘の面々は、それぞれ売れてからも、
超多忙を楽しむというか、誇るような気分があった。
たまに彼らに会うと、すぐに自分たちがどれほど忙しいかを
口角泡を飛ばす勢いでしゃべり出し、徹夜自慢みたいな話に行き着くので、
眠りにきわめて弱い私はいつも驚いていた。

一番であり続けた手塚さんは大変だったろうなあ、と思う。
命を削って戦ってきたのだ。
自分の作品に自信を持ち、漫画が大好きでないとできないことである。
一九八九年(平成元年)に手塚さんは亡くなった。
まだ六十歳の死は私にも衝撃だった。」


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