2016/01/27

『耳をすませば』 カントリー・ロードの歌詞を巡る対立、近藤監督が涙した理由


ジブリの『耳をすませば』で歌われる『カントリー・ロード』の和訳歌詞は、鈴木敏夫プロデューサーの娘さんが作詞したものです。ただし、その歌詞はのちに宮崎駿さんが多少アレンジを加え、それが現在の完成版となっているそうです。

今回は、この『カントリー・ロード』の和訳歌詞を巡る、近藤喜文監督と宮崎駿さんの対立と、そこに秘められた思いをご紹介したいと思います。

『ジブリの教科書9 耳をすませば』 (文春ジブリ文庫)によると、宮崎駿さんは最初から「カントリー・ロード」をこの作品の主題歌にしようと決めていて、その日本語訳が肝心だと言っていたそうです。しかし、宮崎さんは多忙のためカントリー・ロードの日本語歌詞を作ることができず、追い詰められた宮崎さんは鈴木敏夫プロデューサーの娘さんにやってもらおうと言い出したそうです。その時の様子を、鈴木プロデューサーは同書でこう語っています。

(前略:鈴木敏夫プロデューサーの娘さんは、カントリー・ロードの歌詞を)五分ほどでさらさらさら~っと書き上げちゃった。しかも、その詞を宮さんが気に入るんですよ。「よしっ」と言って、自分でちょっとだけ手を入れて、完成版にしました。
 でも、その手を入れた部分をめぐって、宮さんと近ちゃんがケンカを始めちゃうんです。
 最初うちの娘が書いた詞は「ひとりで生きると/何も持たずに/まちを飛びだした」となっていた。宮さんの直した歌詞は、「ひとりぼっち/おそれずに/生きようと/夢見てた」。
 そもそも、ジョン・デンバーが書いた元の歌詞は「あの懐かしい故郷へ帰ろう」という話です。あきれたことに、うちの娘はそれを、「家出してきた故郷には、帰りたくても帰れない」という話に変えちゃった。宮さんはそれを喜んだんですけど、ただ、あまりにも露骨に書きすぎてあった。そこで、家出の要素をちょっとぼかしたわけです。

さて、ここでは宮崎駿さんがアレンジを加える前の歌詞も明かされています。アレンジを加える前の方が良かったと思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、問題はここからです。こう続きます。

 それに対して、近ちゃんは「元の歌詞のほうがいい」と言う。それで二人が議論をし始めて、しまいにはほとんど怒鳴り合いのケンカになっちゃうんです。最後は近ちゃんが折れて、宮さんのバージョンに落ちつきました。
全国キャンペーンで仙台へ行ったとき、近ちゃんと二人きりでご飯を食べる機会がありました。そのとき、近ちゃんが「僕はいまでも元の歌詞のほうがいいと思っています」って、ボソッと言ったんですよ。
「僕自身、漫画家になろうと、家出するように東京に出てきました。本当に何も持っていなかった……」
 涙を流していました。偶然なんでしょうけど、うちの娘が書いた詞は、近藤喜文という人の人生そのものだったんですよ。ほとんど家出をするように国を出てきて、必死にアニメーターになった。でも、それだけじゃ帰りたくても帰れない。ほんとうの意味で胸を張って故郷に帰るためには、監督になることが必要だったんでしょう。そういう思いを託せる歌詞に、あろうことか自分の初監督作品で出会った。それは彼にとってすごく大きな意味があったんだと思います。

宮崎さんには宮崎さんの譲れないこだわりがあったのだと思いますが、後に涙を流すほど譲りたくなかった近藤喜文さんの思いを考えると、なんだか複雑な思いがしてしまいますね。家出の要素はボカしたほうが良かったのか、それとも元のままの方が良かったのか…皆さんはどう思われますでしょうか?いずれにせよ、この歌詞の聴き方が変わるエピソードですよね。

そしてご存じの方も多いと思いますが、近藤喜文さんは1998年にお亡くなりになられています。早すぎる死でした。彼が生きていたら、ジブリだけでなく日本のアニメ映画にどんなものをもたらしたのでしょうか。それを知るすべが既にないことを、とても残念に思います。

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