2016-12-30

ジブリの『魔女の宅急便』は『この世界の片隅に』の片渕須直が監督をする予定だった!


今、非常に話題となっている映画『この世界の片隅に』。本当に素晴らしい作品です。

この作品の監督は片渕須直さんですが、片渕さんはかつてジブリの『魔女の宅急便』に演出補として参加していた事があります。しかし、最初から演出補として参加していたわけではありませんでした。ある時から演出補になったのです。いつから?なぜ?今回はその経緯を『WEBアニメスタイル』(旧サイト)のコラムよりご紹介します。

以下、片淵さんご本人のコラム『β運動の岸辺で「第45回 桜の下で」』より。
 発端は、アニメージュ編集部の鈴木敏夫副編集長から自宅にもらった1本の電話だった。話をしたいことがあるので、新宿の喫茶店まで出てきてもらえないでしょうか、とのことだった。たぶん、桜の下で宮崎さんと出会ってからそんなに経っていない頃だったと思う。
 「この喫茶店は、『ラピュタ』のシナリオを宮さんが書き上げたとき、それを読んで高畑さんと意見交換したところでしてねえ」
 と、鈴木さんは何か懐かしそうに店内を見回した。
 「実は今回、こういう原作が上がってて」
 取り出されたのは角野栄子『魔女の宅急便』だった。これを監督として映画にまとめられそうか検討して、可能と思ったらラフな粗筋を書いてほしい、といわれた。

書くときの参考用にと、アニメージュ別冊ロマンアルバムに掲載されていた『天空の城ラピュタ』の宮崎さんの企画書のコピーをもらった。どうもその前に何人かの若い演出家で検討してみたこともあったらしく、誰々だったらこういうストーリーになってしまうんだろうなあ、などというようなことも聞かされた。要は、そうじゃないものを書いてきてね、ということのようだった。

 原作を読んで考えた。
 一人前の魔女になるための通過儀礼のため見知らぬ街に住み着いたキキは、途中では様々な出会いを伴ったエピソードを経験しもするだろうが、最終的には総体としての町の人々に受け入れられるような何かをするべきだと思った。
 舞台は海辺の街であるようだし、近くに船が難破し、取り残された人々を救助する話を、最後に付け加えるのはどうだろうと思った。当時、すでにワープロなんかを使うようになっていたので、それを使ってそんなストーリー案をタイプして、提出してみた。

片渕さんは監督候補であったという点が驚くべきポイントでしょうか。また大まかなあらすじも書き、あらすじには「船が難破し、取り残された人々を救助する」という話がクライマックスに加えられているという点は非常に興味深いポイントです。飛行船ではなく、難破した船、実現していたならば作品のイメージは大きく違っていたはずです。

しかし、このあらすじに対して宮崎駿さんはというと…
 ここまでのやりとりは鈴木さんとだけで、しばらくして宮崎さんとこの件に関して初めて会うことになり、いきなりケチョンケチョンにいわれた。この企画は通過儀礼がすべてなのであり、アクションを伴う事件性は盛り込む必要がない、と。

事実、このずっとあと、最終的に宮崎さんが書くことになったシナリオも、最後はキキが親切な老人との一件で一定の感慨を得るあたりで終わっていて、完成版には存在する飛行船の難破のシーンは入っていなかった。今回はプロデューサーに回るという宮崎さんのスタンスは、そんな感じのところにあった。すごく地味で実直なものを考えていたようだった。

ここで「アクションを伴う事件性は盛り込む必要がない」と宮崎監督の意見、飛行船のシーンは監督にとって必要がなかったことが分かります。では、誰が必要と感じたのか?そして『第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」』では、いよいよ監督が交代した理由が明かされます。

 当時、ジブリの所属でもなんでもないアニメージュ編集部の鈴木敏夫さんが、実質的なプロデューサーとして、宮崎さんがこちらの現場方面に介入してくるのを防ぐため、色々手を尽くしてくれていたのだが、最終的にここがスポンサー乗りしなければこの企画は成立しないことになるという立場の企業の方から、
 「当方としては『宮崎駿監督作品』としてのもの以外に出資するつもりはない」
 と、実にはっきりしたことを、冗談のひとつも交えず、やけに硬直した面持ちでいわれてしまったことがあり、せっかくネクタイのひとつも締めて新橋まで出かけたこちらも困ったが、鈴木さんと相談してここはこちらから身を引くカタチをとることにした。
 当時、メインキャラクターのデザイン、パン屋の美術設定などくらいまでができていたところだった。宮崎さんはキキのキャラクターを『トトロ』のメイのような(あるいは後年の千尋みたいな)はっちゃけた感じにしろといっていたのだったが、こちらはこちらの意図としてあのキキのデザインを提示していたのだった。
 鈴木さんの事前の予想として、「宮崎さんは『挫折』というものを描き得ないだろうから、そこをあなたがやってください」と、いわれていたのだったが、意外にも宮崎さんの内面で一種の開き直りがあり、挫折感と屈折を正面にもってきたシナリオが完成してしまったのであって、それをもって作品自体の目的はクリアできそうにもなっていた。

 「でも、あなたは作品の最後まで立ち会うべきだ」
 と、鈴木さんは強くいい、演出補として現場に残ることになった。
 宮崎さんのシナリオ第1稿は表紙に「決定稿」と表示して印刷されたが、しかし、鈴木さんはさらに、観客にもっと提供しなければならないものがある、と進言して、飛行船遭難の話が追加された。
 そこから先は自分として、画面作りのことしかしていない。

スポンサーの言葉という、なんともやるせない大人の事情によって、監督は交代となりました。そして宮崎さんの才能によってというべきか、挫折を描けてしまったという点、結局鈴木さんの一言により飛行船の難破というアクションシーンがクライマックスに追加されたという点…ひとつの作品の水面下では色々なことが動いているのだと、改めて感じさせる出来事です。

この当時のことを、鈴木敏夫プロデューサーは書籍『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』にて、こう語っています。
スタッフがロケハンから帰国し、脚本も完成。いよいよ本格的な制作に取りかかろうとしていたとき、徳間書店の上層部に企画の説明と監督の紹介をすることになりました。その会を終えてみて、僕としては正直なところ、この体制でいいものが作れるんだろうかと不安になってしまったんです。徳間書店を出て、みんなと別れた後、僕は宮さんを喫茶店に誘いました。
「このままでうまくいくんですかね?」
率直に聞いてみると、宮さんも、
「俺も同じことを考えていた。どうしようか、鈴木さん」と言います。
「トトロから連投になってもうしわけないですけど、やっぱり宮さんがやってくれないですかね」
そうお願いすると、宮さんはその場で「分かった」と了承してくれました。
 数日後、スタッフを集めてそのことを話し、片淵くんには引き続き演出補として仕事を続けてもらうことになりました。

当時の状況では、『魔女の宅急便』は宮崎駿さんが監督を務めて良かったのかもしれません。しかし、『この世界の片隅に』を生み出せた片淵さんですから、彼が『魔女の宅急便』の監督を務めたとしても、やはり注目に値する作品になった可能性は…あったのかもしれませんね。

そして片渕さんの語るさらなる詳細な経緯はβ運動の岸辺でからご覧になれますので、興味のある方は是非!


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