2017-12-14

押井守の語る『天空の城ラピュタ』のおかしい部分


今回は、押井守監督が『天空の城ラピュタ』について語っている部分から「なるほど」と思った部分をご紹介したいと思います。

以下。書籍『誰も語らなかったジブリを語ろう』より引用です。
ーーあと、『ラピュタ』にも、ちょっと説教臭いところがありますよね。天空の人はこうやって滅びたんだという部分。

押井 人間は大地に根っこを張って生きるものだという考え。「ほうら出てきた」って(笑)。森林信仰であり農村回帰ですよ。でも、大地に生きることだけやっていたら、人間は人間にならなかった。だって文明拒否だよ?

ーーだから時代を産業革命時にしているの?

押井 そこがおかしいんだよ。パズーが住んでいる炭鉱町とラピュタの本質的な違いなんてないでしょ。どちらも機械文明なんだから。それを否定してパズーたちはどうやって生きていくの?あの子が乗っている飛行機はどうするんだって。パズーが飛行機マニアという設定と、大地に帰れという『ラピュタ』のテーマとは対立しちゃうんだよ。言うまでもなく、パズーが飛行機マニアなのは宮さんがそうだからなんだけどね。

ーーそれが「語りたい物語と、自分の性癖の闘い」になるわけですね。

押井 宮さんが言っていたのは「空中戦は世界で一番上手に描ける自信がある。でも、やらないんだ」。なぜ、やらないかというと、戦争を肯定したくないから。でも、本当にやりたいのは空中戦。そこに矛盾を抱えているんだよ。

なるほど、確かに言われてみればそうかもしれません。空中へ浮かんでいる文明はアウトだけど、地上にいるならば機械文明はOKというのは筋としてはおかしいですね。しかし宮崎監督はスマホも嫌い、また深夜コンビニの明かりも嫌いだそうで、要するに「過剰な文明」が嫌いなのだと思います。とはいえ、では「過剰の文明」とはなんぞや?ということになってきますし、ハッキリとした「ここまでなら文明もアリ」という線引きはできるのか?という問題があります。今の私たちがスマホを捨て去る時代に帰れるか?と言ったら、無理ですよね。宮崎監督なりの文明論、是非とも聞いてみたいものです。

そして最後に少しだけ語られている「宮崎監督の抱える矛盾」、これも非常に気になるところです。戦争は嫌いだがその兵器は好きであるという宮崎監督の矛盾は、その後の作品でも何度も出てきます。宮崎監督なりの答えは出ているのでしょうか?




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