書籍『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』によると、このような経緯だったそうです。
大ヒットとなった『魔女の宅急便』だが、宮崎はこの映画の完成後、スタジオジブリを解散する心づもりをしていたという。宮崎の持論の一つに「一スタジオで制作できるのは三作品が限度」というものがある。ある程度定まったスタッフでそれ以上制作を続けると、必ず無理がでるという考えだ。一方、鈴木は「せっかくここまで作ったのだから、もう少し続けたい」と考えた。鈴木と宮崎は話し合いを行い、最終的にスタジオジブリを継続することになった。
そこで宮崎が提案したのが、新人の育成。これまでは一作ごとに解散する方法で制作リスクは低いものの、新人を育てるような体制ではなかった。
その宮崎の提案を受けて、鈴木はスタッフの給与倍増をさらに提案した。というのも、ヒットした『魔女の宅急便』だったが、完成後スタッフの給料が問題になっていたのだ。
(中略)
こうして、ジブリ設立当初の「一本ごとに解散」という方針は大きく転換。
①スタッフの社員化、および固定給制度の導入。資金倍増を目指す。
②新人定期採用とその育成。
という新たな経営方針の下、スタジオジブリは定期的に作品を制作していくことになる。