2023-10-20

「日本のアニメーションは終わり」 宮崎駿がポニョの時に抱いていた日本アニメへの危機感は、今もなお続いているか?


今回は、書籍『ジブリの森とポニョの海』に収録されている、宮崎監督とドキュメンタリー作家のロバート・ホワイティング氏の対談から、宮崎監督が「日本のアニメーションは終わり」と語っている部分を抜粋してご紹介します。これは書籍のタイトル通り、『崖の上のポニョ』の頃に行われた対談ですが、なぜそのようなことを宮崎監督は言ったのか?そして、それは今も継続している危機なのか?お読みいただければと思います。

以下、その部分抜粋です。

ホワイティング ところで日本のアニメがこれだけ支持を得ているということは、そのような道に進みたい若者も大勢いるのではないかと思うのですが、宮崎監督は漫画家やアニメーターを育てることは得意ですか?

宮崎 うーん……すべては本人が決めることですね。僕はアニメーターを養成しようと思っていますが、種をまいて、水をやっても、芽が出ない種がたくさん混じっています。それは宿命ですね。芽が出る保証はないんです。水をあげたら、それで腐っちゃうやつもいるし、水をあげなかったら枯れてしまうものもいます。今、僕が感じているのは「日本のアニメーションは終わりだな」ということです。

ホワイティング え? そうですか? どうして?

宮崎 子供たちが、バーチャル(仮想体験)なものだけで育っているからです。つまり、アニメーションというものは、自分の体が覚えていることを、思い出す作業なんですよ。アニメーションを描くときは、肉体で覚えた経験をもとに絵を描いていきます。これ以上前に進んだら、崖から落ちてしまう。ならば、落っこちまいとするときに人間の体はどのように動くか。普通に成長する過程の中で、自分の体の中に、いつの間にか入っている記憶を、外に出していくも のがアニメーションなんです。

ホワイティング それは描く側だけでなく、見る側にとっても同じことですね。アニメーションを見ることで、観客は登場人物の体の動きに、感覚を移入するものですから。

宮崎 重力とか、弾力とか、意思とか、抵抗とか。アニメーションを描いていると、自分の肉体の奥底から、自分の経験がでてきて、納得する動きができあがっていく。もちろん、アニメーション作品としてオーバーアクションにする場合もありますし、抑えた演技にすることもあるかもしれない。けれど、いちばんの基礎になるものは、その描き手の積んできた経験です。ところが、バーチャルな世界に生きてきた人間には、そういう基礎になる経験がないんですね。ゲームばかりしてきたとか、インターネットで情報を知ったとか、そういう人たちでは、紙でアニメーションはほぼできないはずです。そもそも彼らがアニメーションに興味をもつかどうかも疑問ですね。日本のアニメーションが子供たちの間で、すごく人気があった時期というのは、その父親の世代がアニメーションをつくっていたわけで。彼らの子供の時代の経験や体験をアニメーション化していたわけです。でも、今の時代になったら、引き出す経験や体験が貧困になっています。たとえば、マッチを擦ったことのない、ライターをつけたこともない、家庭でガスを使ったこともない、そういう若い世代が出てきています。僕は以前、火のアニメーションを描かなくてはいけないときに、暖炉の前に若いアニメーターを連れてきて「ここで火を見ろ!」と言ったことがあります。彼は4時間ぐらいにわたって、火を見続けていましたね。裸の火を見るのは、初めてだったんですよ。そういう人間に、官能的な、肉体的な絵を描かせるのは、至難の業です。どんなに本人が努力しても、難しい。 スタジオジブリは保育園を運営していますが、そこの子供たちがアニメーターになるとはあまり思えません。だから「日本のアニメーションは終わり」だというんです。いや、バーチャルの茨の隙間をぬって、しっかり育っている人がいるかもしれませんがね。

以上、非常に厳しい意見ですが、これが宮崎監督が「日本のアニメーションは終わり」と考えている理由です。そして宮崎監督のこの意見は、何もこの時期にだけそのような悲観論に陥っていたわけではなく、何度も同様のことを言っています。例えば当ブログでご紹介した【辛辣だけど面白い!宮崎駿さんが語る「『借りぐらしのアリエッティ』はなぜ日本が舞台なのか?」】 でも、現代の若者の世界の狭さ、好奇心の薄さ、自分の身の回りのことしか見ておらず、またそれも観察が足りないことを憂いていましたし、元ジブリの舘野さんによりますと、宮崎監督はスタッフに以下のようなことを繰り返し言っていたそうです。

 宮崎さんが口癖のようにスタッフに言っていたのは「写真やビデオ映像を見て、そのまま描くな」ということです。「資料を参考にして描きました」と語るアニメーターたちに、宮崎さんが厳しく接する場面を何度も目にしてきました。
 写真やビデオを見て描くような、そんな浅いところではダメなのです。ふだんから、人間も動きはもちろんのこと、植物や動物、波や風、火、あらゆる自然現象、森羅万象に興味をもってよく観察して、記憶して、いつでもその動きを表現できるようになっているのがアニメーターなのだ、という確固たる信念のもとに宮崎作品はつくられているのでした。しかも宮崎さんは、ただ現実をそのまま描くのではなく、現実の向こうにある理想の「リアル」を描くことを探求しているのです。


宮崎監督が次世代の人々に求めるものは厳格だと思います。しかし、もしジブリを引き継ぐことができる存在を生み出さねばならないとしたら、このハードルを越えねばいけないのだと思います。

私見ですが、アニメーションは日本の誇るコンテンツだと言われている一方、そこで従事している方々はあまりにも金銭的待遇が悪い状況であり、それはここ数十年、常に言われている問題にも関わらず、何も進展が見えません。この状況が日本アニメの未来に明るい光をもたらすはずはなく、いくら高い志を持っていても、待遇が改善されない限りは宮崎監督の求めるハードルを越えうる実力を持つ人々もやがて心が折れるのは必然です。

その意味でも、今のままでは本当に日本のアニメーションは終わると思うのですが、このまま私達は日本の誇れるコンテンツが終わるのを見届けなければならないのでしょうか?





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