以下、その一部引用致します。まずはガンダムとヤマトがアニメ界に与えた影響についての話です。
70年代の終わりに『宇宙戦艦ヤマト』が、80年代になって『機動戦士ガンダム』が大ヒットし、ブームになりました。それまで、僕らは作品を作っても取材されなかったし、スポンサーからも局からもまるで放ったらかし。つまり、世の中に構われていなかったんです。
みんな勝手に物作りができて、脚本通りに作る監督なんか一人もいなかった。手作りで、いろいろとデタラメだったけど、その中で最良のものを作ろうとしていた。だから、あの頃のアニメ界は本当に面白かったんです。
僕は『うる星やつら』の映画を2本(1983年、1984年)撮ってからフリーになりました。その後しばらく、鷺ノ宮(東京都中野区)にあった宮さんの事務所に居候させてもらっていたんです。宮さんが『風の谷のナウシカ』(1984年)を作った後の頃です。
当時、宮さんとはよく話しました。一生分、話したんじゃないかな。
「あんたと私が映画を作っていられるのは全部、ヤマトとガンダムのおかげなんだよね」
宮さんはそう言っていましたが、僕もその通りだと思います。確かに『ヤマト』と『ガンダム』がブームになったことで、以前のように好き勝手はできなくなったけど、一方で僕も映画を作れるようになった。