『紅の豚』には必ずつきまとう疑問があります。
「ポルコは人間に戻れたのか?」
この作品を観た誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか?しかし、作品の中に答えはありません。でも、宮崎監督の中には答えはあるではないか?今回は、書籍『ロマンアルバム 紅の豚』より、宮崎監督の「ポルコは人間に戻ったのか?」という疑問への回答と…
もうひとつの重要な謎、ジーナの賭け「昼間にポルコが庭に訪ねてきたら、彼を愛する」の結果はどうなったのか?についての回答をご紹介したいと思います。
まずは、「ポルコは人間に戻れたのか?」という疑問について。宮崎監督はこのように仰っています。
ーー映画を見たアンケートによれば、結末に疑問を持った人が多かったようです。それは、あのあとポルコは人間に返ったのか、それとも一生豚なのかというところが知りたいということなのですが。
宮崎「人間に戻るということがそれほど大事なことなんでしょうか(笑)。それが正しいと?」
ーージーナの「いつになったら、あなたの魔法が解けるのかしらね」というキーワードもありますし。
宮崎「たしかにキーワードですが、同時に、豚のままの日差しの中に現れたら、それを愛そうと決めたんですよ。人間になったら愛そうと思ってるわけじゃない
僕は豚のままで生きるほうがいいんじゃないかと思います。ときどきつい本音がでて真顔になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。いわゆる皆さんが期待している、なにか獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていないんです」
ーー何かを獲得して自我を確立していくようなことはもう過ぎちゃっていると。
宮崎「もういっぱい経験してきた人間たち。取り返しのつかないこともいっぱい持っている人間たちなんです。豚もフィオの気持ちはうれしかったりするけど、じゃ、それで全部自分の汚れが晴れて、やり直しがきいて、これでまっさらになったなんて思わないですね。みそぎをやればきれいになるなんて思っているのは、自民党の代議士だけ(笑)。
僕は豚よりも人間のほうが価値が高いなんて思っていません。人間とミミズでは、ミミズのほうがましな場合だってあるんです。」
宮崎「人間に戻るということがそれほど大事なことなんでしょうか(笑)。それが正しいと?」
ーージーナの「いつになったら、あなたの魔法が解けるのかしらね」というキーワードもありますし。
宮崎「たしかにキーワードですが、同時に、豚のままの日差しの中に現れたら、それを愛そうと決めたんですよ。人間になったら愛そうと思ってるわけじゃない
僕は豚のままで生きるほうがいいんじゃないかと思います。ときどきつい本音がでて真顔になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。いわゆる皆さんが期待している、なにか獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていないんです」
ーー何かを獲得して自我を確立していくようなことはもう過ぎちゃっていると。
宮崎「もういっぱい経験してきた人間たち。取り返しのつかないこともいっぱい持っている人間たちなんです。豚もフィオの気持ちはうれしかったりするけど、じゃ、それで全部自分の汚れが晴れて、やり直しがきいて、これでまっさらになったなんて思わないですね。みそぎをやればきれいになるなんて思っているのは、自民党の代議士だけ(笑)。
僕は豚よりも人間のほうが価値が高いなんて思っていません。人間とミミズでは、ミミズのほうがましな場合だってあるんです。」
さっそく宮崎監督らしい発言が飛び出しております(笑)。「豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。」「僕は豚よりも人間のほうが価値が高いなんて思っていません。」辛辣です。しかし、確かにそうかもしれません。取り返しの付かないことがあるのが人間です。ポルコは、多くのジブリキャラたちと違い、もう既に成熟した大人、人間に戻って全てが綺麗になるのか?そうはならない。ならば、豚でいようと人間に戻ろうと、それは些細な事なのかもしれません。
そして、ジーナは賭けに勝ったのか?について
それとも…フィオを選んだ?
監督はこう言っています。
宮崎「人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、豚にとってはあるかもしれない。だからといって、すぐジーナのところへ行って『どうも』って……行かないですね。そういう日もあったかもしれないけれど、ジーナが出てきたら、また豚になって飛んでっちゃいますよ。僕はそのほうが、自分を許さないというほうが好きです。何日か経ったらアドリアーノに知らん顔して定食を食いに行くという説もあるんです。何事もなかったかのように『よう』と言って飯を食う(笑)。あと、二度とふたりも前に姿を現さなかったという人もいました。でも、僕は姿を現してもちっともかまわないと思いますね。それよりも人間に戻ったから、それでジーナが愛してくれるというほうがずっといやらしい。それで二、三日ゴロゴロしているうちに、まただんだん豚になってきちゃうとか……。そうじゃないと思うんです」
ーーときどきは人間の顔に、真顔になるときもあるけれど……。
宮崎「ヒロインに対する礼儀として、フィオの心を思ったら、やはりちょっと真顔になってあげなければ。そういうことを回復させようとしたんですから。でもそれは彼女がどう思おうと女房になろうとできないですよ。大事なことは、回復するかしないかじゃないんです。それでいいんじゃないかと思う。(後略)」
ーーときどきは人間の顔に、真顔になるときもあるけれど……。
宮崎「ヒロインに対する礼儀として、フィオの心を思ったら、やはりちょっと真顔になってあげなければ。そういうことを回復させようとしたんですから。でもそれは彼女がどう思おうと女房になろうとできないですよ。大事なことは、回復するかしないかじゃないんです。それでいいんじゃないかと思う。(後略)」
監督は、明確な答えを用意しておりませんでした。ポルコは何事もなかったかのように、ホテル・アドリアーノに行くかもしれない、と。まさに「皆さんが期待している、なにか獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていない」ようです。『紅の豚』という作品は終わっても、ポルコとジーナの物語がハッピーエンドで終わるわけではない、二人の関係は何も変わらず続いていくかもしれない。フィオのもとに行き、人間に戻って、ハッピーエンドでもない、と…。
ネットでは、終盤に登場する映像から「ジーナは賭けに勝った」という説がありましたが、宮崎監督の解釈を見る限り、必ずしもそうではないようです。
大人な映画です。皆さんは、この監督の発言を踏まえて、ポルコの「その後」をどう想像されますか?
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