宮崎駿さんと高畑勲さんの関係は、私たちには推し量れない友情のような、師弟関係のような、そしてライバルでもあるような、特別な間柄のようです。今となってはスタジオジブリ第一作目とみなされている『風の谷のナウシカ』の頃、宮崎さんが号泣したことがあったそうです。
以下、書籍『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』に収録されている鈴木プロデューサーによる語り下ろしより抜粋です。
さて、(ナウシカを)作るにあたって宮崎駿が出した条件はただ一つでした。「高畑さんをプロデューサーにしてほしい。高畑さんがやってくれれば、ちゃんとやれる気がする」。それで僕が高畑さんのところに行くんですが、簡単には首を縦に振ってくれなかった。それどころか一ヶ月毎日通っても返事をくれない。その間、高畑勲が何をやっていたかというと、大学ノート一冊分に「プロデューサーとは何か」という研究結果をびっしりまとめていて、最後に「だから僕はプロデューサーには向いていないと書いてあった」。
僕も根負けして、宮さんのところに行って「何で高畑さんじゃなきゃダメなんですか。嫌がってますよ」と言いました。そうしたら珍しく、宮崎駿が僕を「鈴木さんは飲めないけど、飲みに行こう」と誘うんです。阿佐ヶ谷の小さな居酒屋で、あのおしゃべりな宮さんがビールや日本酒を黙々と飲んで、突然泣き出して言うんです。「俺は十五年間、高畑勲に青春を捧げた。何も返してもらっていない」。
その姿を見ると、高畑さんを説得するしかないじゃないですか。それでも高畑さんは「僕はやりたくない」を繰り返すので、ついに僕は生涯でただ一度だけ、高畑さんに向かってものすごいデカい声で「宮さんは高畑さんの大事な友人でしょう。その友人が困っているのになぜ助けないのか!」と言ったんです。
あんまり人に怒鳴られたことはないんでしょう。それが功を奏して「わかりました」とやってくれることになったんですが。その途端に高畑さんはリアリストになって、「どこで作るんだ」と聞いてきた。びっくりしましたね。僕は会社が必要なんて全く考えていなかった。そうしたらいきなり今度は怒鳴り返されるんです。
「宮崎駿一人に乗っかろうなんて、そんなことで映画は作れない。彼が作れる環境を作るためにも、拠点となる制作会社が必要だろう!」
僕も根負けして、宮さんのところに行って「何で高畑さんじゃなきゃダメなんですか。嫌がってますよ」と言いました。そうしたら珍しく、宮崎駿が僕を「鈴木さんは飲めないけど、飲みに行こう」と誘うんです。阿佐ヶ谷の小さな居酒屋で、あのおしゃべりな宮さんがビールや日本酒を黙々と飲んで、突然泣き出して言うんです。「俺は十五年間、高畑勲に青春を捧げた。何も返してもらっていない」。
その姿を見ると、高畑さんを説得するしかないじゃないですか。それでも高畑さんは「僕はやりたくない」を繰り返すので、ついに僕は生涯でただ一度だけ、高畑さんに向かってものすごいデカい声で「宮さんは高畑さんの大事な友人でしょう。その友人が困っているのになぜ助けないのか!」と言ったんです。
あんまり人に怒鳴られたことはないんでしょう。それが功を奏して「わかりました」とやってくれることになったんですが。その途端に高畑さんはリアリストになって、「どこで作るんだ」と聞いてきた。びっくりしましたね。僕は会社が必要なんて全く考えていなかった。そうしたらいきなり今度は怒鳴り返されるんです。
「宮崎駿一人に乗っかろうなんて、そんなことで映画は作れない。彼が作れる環境を作るためにも、拠点となる制作会社が必要だろう!」
こうしてジブリの前身であるトップクラフトが作られることとなったそうですが、ハッキリと書いてしまいましょう、高畑さん、めんどくさい人です(笑)大学ノート一冊かけて「プロデューサーはやらない」ですか!思わず「やってあげればいいのに!」と読んでいて感じてしまいますが、その声を鈴木さんが代弁してくれたような展開です。
宮崎さんはナウシカ公開後も号泣しているので(参照:高畑さんにナウシカを「30点」と言われて激怒した宮崎監督、鈴木プロデューサーの言葉で号泣する。 )やはりナウシカはそれだけ力の入った作品だったのでしょう。
そして、ジブリにとって、この3人の関係は欠かすことのできないものなのかもしれませんね。
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