2018-04-13

アニメ『ドラえもん』の救世主だった高畑勲さん


高畑監督、実は意外な所でその手腕を発揮していました。なんとドラえもんを救っていたのです。今回はその経緯をご紹介いたします。

以下、SmartFLASHの記事より。

高畑さんを悼むのは、シンエイ動画名誉会長の楠部三吉郎さんだ。
「高畑さんは僕の恩人ですから。今、すごく悲しいです」

 楠部さんが高畑さんを「恩人」と評するには理由がある。楠部さんは1976年、Aプロダクションから独立してシンエイ動画を起業する。しかし、仕事がまったくなかった。そのときひらめいたのが、『ドラえもん』のアニメ化だ。

 もともと、アニメ『ドラえもん』は1973年に放送されているが、視聴率7%で半年で打ち切られている。だが、ドラえもんの魅力にとりつかれた楠部さんは、原作者・藤本弘(藤子・F・不二雄)に再アニメ化を持ちかける。

 しかし、打ち切りの悲哀を味わった藤本はなかなか了承しない。楠部さんがこう話す。

「藤本先生に直接お会いして、どうか『ドラえもん』をボクにあずけてください、と言ったんです。でも、藤本先生はこっちの気が遠くなるくらい黙ってから、“どうやって『ドラえもん』を見せるのか教えてもらえませんか。原稿用紙3、4枚でいいから、あなたの気持ちを書いてきてください”と言うのです」

 楠部さんは企画書を考えるが、なかなか形に出来ない。そのとき頼ったのが、高畑さんだった。楠部さんは高畑さんに『ドラえもん』全巻を渡し、読んでもらった。

「高畑さんは『こんなすごい作品が日本にあったの? 子供の願望をこんな形で叶えるキャラクターを出現させるなんて、これは画期的だよ!』と驚き、企画書の作成を受けてくれたのです」

 企画書の現物は残っていないが、楠部さんの著作『「ドラえもん」への感謝状』にはこう書かれている。

《『ドラえもん』は、子どもたちの夢想空想を、大人の知恵で少しだけふくらませてあげる。笑いの中で子どもたちの夢をふくらませてあげる。でも、現実世界はそんないいことばかりじゃない。だからのび太はできそこないで、最後はいつも失敗してしまう。子どもたちの夢想空想を笑いの中へ解放してくれる、解放戦士こそ、『ドラえもん』なのだ》

 藤本は、一読すると、楠部さんの目を見据え、「あなたにあずけます」とひと言だけ語ったという。こうしてドラえもんはアニメ化され、大人気となった。

 楠部さんが言う。

「高畑勲という人間がいなかったら、いまのアニメ『ドラえもん』は生まれていなかったかもしれません。高畑さんは、ドラえもんの恩人の一人です」

かつてドラえもんは半年で打ち切られていたというのも驚きですが、藤本先生を説得する企画書を書いていたというのも驚きです。高畑監督の遺した偉業はたくさんあるのですが、実はこれから先こそが、隠された偉業が語られていくことになるのかもしれませんね。


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