2017-04-24

『スタジオジブリ』という名称は宮崎駿の勘違いから生まれた!


映画『風の谷のナウシカ』は、厳密に言うとスタジオジブリ作品ではありません。当時はまだスタジオジブリという会社が存在していなかったのです。ですから、制作は『トップクラフト』という会社でした。スタジオジブリが発足したのは、ナウシカ公開後なのです。書籍『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ』によると、こうあります。

 『ナウシカ』公開間もない、一九八四年、春、徳間書店『アニメージュ』副編集長だった鈴木敏夫は編集部を代表して、徳間所長に、徳間書店自体が制作スタジオを所有することを提案。徳間社長の快諾を得て、六月には同社が所有していた休眠会社を利用し、アニメーション制作のための新会社が発足した。
 これが“スタジオジブリ”の発足である。

実は、この『スタジオジブリ』というネーミングは、ある勘違いから生まれたものです。同書の鈴木敏夫プロデューサーによると、このような経緯だそうです。

2017-04-22

まるで写真!ディズニーヴィランズをリアルに描いたイラスト!


今回は、あまりにもリアルで写真かのように錯覚してしまうディズニーヴィランズのイラストをご紹介します。


フック船長

2017-04-21

壮大、美しい…映画の中に出てくる建築物をまとめた映像


映画の中に出てくる建築物は、その映画の世界に中に入り込むための重要な要素であり、私たちの想像力に働きかける効果があります。そんな映画に登場する建築物の中でも特徴のある建築物をまとめた動画をご紹介します。

2017-04-19

赤にしか見えない!でも青緑なイチゴの錯視!


錯視研究で有名な北岡明佳教授による驚きの錯視画像をご紹介します。


2017-04-18

『ハウルの動く城』から細田守が降りた理由とは?鈴木敏夫からの視点


『ハウルの動く城』は細田守さんが監督をするはずでしたが、一度何らかの理由で頓挫しています。そして、監督は宮崎駿さんとなり再スタート、私たちの目に触れることとなりました。

この件については、当ブログで『ハウルの動く城』は細田守が監督をするはずだった。としてまとめたことがありますように、細田さんは自ら「クビになった」と言っています。細田守さんにとっては苦い思い出でしょう。

今回は、その経緯について、書籍『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』に収録されている鈴木敏夫プロデューサーの「宮崎作品の中でもっとも苦労した『ハウル』」より抜粋してご紹介します。