故・高畑勲監督は恐ろしい人だったようです。今回は、書籍『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』より、鈴木プロデューサーの語った高畑監督の恐ろしい一面をご紹介します。
以下、その引用です。
どんな人の人生にも功罪両面があるし、映画監督という仕事をしている以上、いつもいい人でいることはできません。人の人生を変えてしまうこともあるし、ときには恨まれることもある。とくに高畑さんの場合、いい作品を作ることがすべてであって、その他のことにはまったく配慮しない人でした。よくいえば作品至上主義。でも、そのことによって、あまりにも多くの人を壊してきたことも事実です。
『火垂るの墓』の作画監督を務めた近藤喜文もそのひとりでした。最初で最後の監督作となった『耳をすませば』のキャンペーンで仙台を訪れた日の夜、高畑さんのことを話しだしたら、止まらなくなりました。「高畑さんは僕のことを殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」。そう言って二時間以上、涙を流していまし た。彼はその後、病気になり、四十七歳で亡くなってしまいます。火葬場でお骨が焼き上がるのを待つ間、東映動画以来、高畑・宮崎といっしょに仕事をしてきたアニメーターのSさんがこう言ったんですよ。「近ちゃんを殺したのは、パクさんよね」。瞬間、 場の空気が凍りつきました。ある間をおいて、高畑さんは静かに首を縦に振りました。
『火垂るの墓』の作画監督を務めた近藤喜文もそのひとりでした。最初で最後の監督作となった『耳をすませば』のキャンペーンで仙台を訪れた日の夜、高畑さんのことを話しだしたら、止まらなくなりました。「高畑さんは僕のことを殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」。そう言って二時間以上、涙を流していまし た。彼はその後、病気になり、四十七歳で亡くなってしまいます。火葬場でお骨が焼き上がるのを待つ間、東映動画以来、高畑・宮崎といっしょに仕事をしてきたアニメーターのSさんがこう言ったんですよ。「近ちゃんを殺したのは、パクさんよね」。瞬間、 場の空気が凍りつきました。ある間をおいて、高畑さんは静かに首を縦に振りました。