『紅の豚』、終盤に差し掛かったところで、カーチスと再戦することになったポルコ。その日の夜、眠れぬフィオに聞かせた戦争中の話、それは、まだ人間だった頃のポルコことマルコ・パゴット大尉が見た、夢とも現実とも付かない場所『飛行機の墓場』の話だった。
一人生き残り、敵も味方もなく高い空の向こうへと戦闘機が運ばれていくさまを、ただ見ていることしかできなかったマルコ・パゴット。
実はこのエピソードには元ネタがあります。今回は、その元ネタであるロアルド・ダールの短編『彼らは年をとらない』を、書籍『宮崎駿全書』から引用してご紹介します。
以下、その文章です。
ポルコがフィオに語る『飛行機の墓場』については、明確なモデルがある。ロアルド・ダール著『飛行士たちの話』(45年)に収録された短編『彼らは年をとらない』がそれである。
(中略)
『彼らは年をとらない』はこんな話である。
第二次世界大戦の対独シリア作戦中の英国空軍で、あるパイロットがハリケーン機で爆撃に出たまま二日間も消息を絶つ。突然戻ってきたパイロットは一時記憶を喪失していたが、戦友の死を眼前にして突如記憶を回復し、不可解な体験談を語る。偵察中に白い雲海に突入してしまい、高度を果てしなく下げ続けると、一面が青い世界だった。その上には無数の敵・味方の戦闘機が、列をなし飛んでいた。その列に吸い寄せられ、共に飛び続けると不安も焦燥も失せて行った。ところが、途中で列とはぐれ再び雲海に落ち、気づくと愛機は勝手に飛んでいたという。そのパイロットは、その後再び出撃して撃墜され、絶命の際に「おれは運がいい」と言い遺した……という怪談めいた話である。
宮崎は、これを第一次世界大戦時アドリア海で行われたオーストリア=ハンガリー軍とイタリア軍の激闘に置き換えた。まるこ大尉らイタリア軍はマッキM-5、オーストリア=ハンガリー軍はハンザ・ブランデンブルク。双方ニス塗りのボディが美しい。マルコの艇首に「4」とマーキングされているは、「ジーナの4番目の亭主」を暗示したものらしい。
(中略)
『彼らは年をとらない』はこんな話である。
第二次世界大戦の対独シリア作戦中の英国空軍で、あるパイロットがハリケーン機で爆撃に出たまま二日間も消息を絶つ。突然戻ってきたパイロットは一時記憶を喪失していたが、戦友の死を眼前にして突如記憶を回復し、不可解な体験談を語る。偵察中に白い雲海に突入してしまい、高度を果てしなく下げ続けると、一面が青い世界だった。その上には無数の敵・味方の戦闘機が、列をなし飛んでいた。その列に吸い寄せられ、共に飛び続けると不安も焦燥も失せて行った。ところが、途中で列とはぐれ再び雲海に落ち、気づくと愛機は勝手に飛んでいたという。そのパイロットは、その後再び出撃して撃墜され、絶命の際に「おれは運がいい」と言い遺した……という怪談めいた話である。
宮崎は、これを第一次世界大戦時アドリア海で行われたオーストリア=ハンガリー軍とイタリア軍の激闘に置き換えた。まるこ大尉らイタリア軍はマッキM-5、オーストリア=ハンガリー軍はハンザ・ブランデンブルク。双方ニス塗りのボディが美しい。マルコの艇首に「4」とマーキングされているは、「ジーナの4番目の亭主」を暗示したものらしい。
このロアルド・ダールの『彼らは年をとらない』とポルコの相違点に非常に興味深いものがあります。『彼らは年をとらない』の主人公はポルコと違い、戦闘機の列に吸い寄せられ、一緒に飛ぶことで安堵を得ています。そして撃墜され、命を落としている。「おれは運がいい」と言い遺したのは、死ぬ前に『飛行機の墓場』を見ることができたから、死んだら自分もそこに行くのだと知っていたからなのか、それとも、彼は『飛行機の墓場』を見た時から既に“死”に吸い寄せられていたのか…。
一方、マルコ・パゴットだった頃のポルコは『飛行機の墓場』を見ることはできたものの、その列に加わることなく、ただそれを見ていることしかできず、やがて自らに魔法をかけ、豚となり生きていきます。
列に加わり、その後命を落とした『彼らは年をとらない』の主人公、その列に入ることが許されなかった代わりに、生きながらえたポルコ、宮崎監督は『彼らは年をとらない』のエピソードを上手く取り入れつつ、両者の間に対称的な結末を作り出していました。
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