2017/04/18

『ハウルの動く城』から細田守が降りた理由とは?鈴木敏夫からの視点


『ハウルの動く城』は細田守が監督をするはずでしたが、一度何らかの理由で頓挫しています。そして、監督は宮崎駿さんとなり再スタート、私たちの目に触れることとなりました。

この件については、当ブログで『ハウルの動く城』は細田守が監督をするはずだった。としてまとめたことがありますように、細田さんは自ら「クビになった」と言っています。細田守さんにとっては苦い思い出でしょう。

今回は、その経緯について、書籍『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』に収録されている鈴木敏夫プロデューサーの「宮崎作品の中でもっとも苦労した『ハウル』」より抜粋してご紹介します。

以下、その部分の引用です。
企画は提案したものの、宮さんとしては自分で監督する気はなかった。そこで、どういうスタッフでやっていこうか話しあっているとき、たまたま僕の友人が、東映アニメーションにいた細田守くんを連れて遊びに来たんです。

(中略)

 ところが、脚本、キャラクターや美術の設定などの準備作業を進めるうちに、細田くんの中で、悩みが出てきた。ひとつには東映アニメーションとジブリの制作スタイルの違いです。さらに、宮崎駿の存在もプレッシャーになっていました。
 宮さんは、企画を立てたら、あとは黙って見守るというタイプじゃありません。ストーリーや絵について、「こうしたほうがいい」とあれこれアドバイスしてきます。しかも、言うことが毎日変わる。
 細田くんは、過去にジブリの研修生採用試験を受けたこともあるぐらい宮崎駿に憧れを持っていました。だから、宮さんの話をまじめに聞いていたのです。宮さんの提案に従って細田くんが作業を進めていると、次の日にはぜんぜん違うことを言われる。それが一週間、一ヶ月と続くうち、彼はすっかり参ってしまった。僕も相談に乗っていたものの、やがて一人で深みにはまり込んで、作業が行き詰まるようになってしまいました。

その後、ハウルは暗礁に乗り上げてしまい、宮崎さんが監督をすることに決まるまで、制作は中断となりました。宮崎さんは天才ではあるものの、残念ながら後進を育てる能力に疑問があることは、何度も触れられていることです。細田さんの気苦労は相当なものだったのでしょう。

その後細田さんは『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と、長編アニメ映画を次々とヒットさせていますので、ここでの失敗は結果として良い経験になったのかも?しれませんね。

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