日本マンガの神様、手塚治虫。
現在でもその影響は絶大である一方、色々な変わったエピソードを持っていることでも有名で、また、とても嫉妬深かったそうです。そんな手塚先生が宮崎駿さんに対してもライバル心を露わにしていたという驚きのエピソードが、鈴木プロデューサーから語られていましたので、ご紹介します。
以下、引用です。
【手塚治虫が宮崎駿をライバル視!? ジブリ・鈴木敏夫が語る二人の素顔】より
鈴木P「ある年、日本漫画協会の方から電話があって、今年の漫画賞は宮さんの『風の谷のナウシカ』で行こうと思っている、と」
1984年に劇場アニメ化される宮崎駿の『風の谷のナウシカ』は、当時、原作となるマンガを『アニメージュ』に連載中だった。
「あとは委員長の手塚先生の了解を得るだけなのであらためて連絡をくれる、ということだった。そうしたら夜中にまた電話があって、手塚先生が反対していると言われて。『“ナウシカ”は素晴らしいと思うよ。しかしまだ完結していないよね? 完結していないものに賞を与えるのはどうかな』とおっしゃったと。でもそれまでにも完結していない作品に賞を与えるケースはあったので、それが理由ではないですよね(笑)」
1984年に劇場アニメ化される宮崎駿の『風の谷のナウシカ』は、当時、原作となるマンガを『アニメージュ』に連載中だった。
「あとは委員長の手塚先生の了解を得るだけなのであらためて連絡をくれる、ということだった。そうしたら夜中にまた電話があって、手塚先生が反対していると言われて。『“ナウシカ”は素晴らしいと思うよ。しかしまだ完結していないよね? 完結していないものに賞を与えるのはどうかな』とおっしゃったと。でもそれまでにも完結していない作品に賞を与えるケースはあったので、それが理由ではないですよね(笑)」
なんだかな…とは思いつつも、それだけ宮崎駿さんの描くナウシカを脅威と感じていた、それほどナウシカが優秀だった、ある意味「認めてもらった」に等しい、という見方もできます。対して、宮崎さんはどのように思っていたのでしょうか?
ちなみに、宮崎監督は手塚治虫が自分をライバル視していたことを知っていたのだろうか。
「はい。僕が伝えましたから。でも宮さんは何も反応しなかったですよ。内心は嬉しかったと思いますけどね。宮さんは、手塚先生の『新寶島』にすごく影響を受けて、精神的支柱だったと言っていたけれど、自分は自分でありたいと思っていたはず。だから、僕の前で喜んだりはしなかった。
「はい。僕が伝えましたから。でも宮さんは何も反応しなかったですよ。内心は嬉しかったと思いますけどね。宮さんは、手塚先生の『新寶島』にすごく影響を受けて、精神的支柱だったと言っていたけれど、自分は自分でありたいと思っていたはず。だから、僕の前で喜んだりはしなかった。
実は宮崎さんは、非常に複雑な思いを抱いていたことをとある雑誌にて告白しています。(その記事はこちら:尊敬と失望。宮崎駿監督の手塚治虫先生への複雑な思い。)
ちなみにかの水木しげる先生は手塚先生を大変意識していたことを自著にて告白されています。(その記事はこちら:水木しげる先生の、手塚治虫先生に対する思い)そして手塚先生もまた、水木先生を大変に意識していたそうです。
天才同士はそれぞれ、意識し合うことを必然的に避けられないのでしょうね。
ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版) | |
宮崎 駿 Amazonで詳しく見る |
火の鳥 1 | |
手塚治虫 Amazonで詳しく見る |
【こちらも併せてどうぞ】
尊敬と失望。宮崎駿監督の手塚治虫先生への複雑な思い。
「成長しないのび太がおもしろい」宮崎駿と藤子不二雄の夢の対談!
宮崎監督、自分が描いた水彩画集へのコメントが正直すぎて面白い!