2022-01-19

ジブリが嫌いな人はスカッとするかも?高畑監督を「クソインテリ」呼ばわり、押井守監督の『おもひでぽろぽろ』&『平成狸合戦ぽんぽこ』評がボロクソである意味面白い!


宮崎駿監督とは仲が良いのか悪いのか、よく分からない「旧友」の一人である押井守監督。


衒学性のあるストーリーと幻想的な映像を併せ持つ作品を生み出す名監督ですが、ジブリの体制や作品に対してはかなりハッキリと意見を述べ、時には強い批判を入れる貴重な存在でもあります。(参考にどうぞ:押井守の語るジブリの闇「なぜジブリに対する批判的な意見が活字にならなかったのか?」押井守監督「ジブリは宮さんが撮れなくなったら“おしまい”」 

そんな押井監督が「なぜスタジオジブリの作品は(公式の場では)絶賛され続けるのか。この辺の事情を具体的な個々の作品に触れながら明らかにしてみたい、あらゆるバイアスを無視して語ってみよう」という意図のもとに語ったインタビューを書籍にした『誰も語らなかったジブリを語ろう』が出版されています。




この本の中で押井監督は、ジブリ作品を時に評価し、分析し、また時にハッキリと強く批判しています。特に高畑監督の作品は強く批判しており、それがある意味非常に面白いものとなっています。ですから、今回は押井監督が特に強く批判している『おもひでぽろぽろ』と『平成狸合戦ぽんぽこ』を該当部分をご紹介します。

※今回ご紹介する話は、ジブリが好きな方よりも、むしろ「ジブリウザい、嫌い」などと思ってる方にとっては読んでいて気持ちがいい話かもしれません。

まずは『おもひでぽろぽろ』から。以下、その一部の抜粋です。

押井 (前省略)『ぽろぽろ』は結論ありきの映画なんですよ。結論から出発した映画と言ってもいい。だから、インテリが作った映画。うちの師匠が激怒していたからさ。「クソインテリめ!」って。

――確かにインテリの匂いは立ち込めていますね。ヒロインがときめく農家の青年は、都会の仕事をやめて農村に戻ってきた男で、聴いている曲がハンガリーの「百姓」の音楽。しかも、「オレ、この車が好きで」みたいなこだわりを覗かせる。その彼に何度も何度も「オレ、百姓だから」と言わせているのも驚きでした。

押井 要するに日本型マルキストの典型であり、農本主義がむき出しになった映画。文字通りむき出しで、ドラマさえすっ飛ばしちゃった。映画として、本当は一番描かなくてはいけない部分――少女の成長を見事にスルーして、農村の素晴らしさを謳うことに終始してしまった。じゃあ、その素晴らしい農村の根拠はどこにあるのか? 高畑勲というインテリの頭のなかに宿った妄想のなかにしか存在しない。昔から、そういうインテリの妄想は歴史があるんだけどね。

(中略)

日本のインテリの多くは農村信仰が強い。なぜかと言えば、彼らは日本のマルキストで、本来のマルキストは工場労働者、プロレタリアートに基盤を求めたんだけど、日本の場合、それに該当する階級が近代工業の立ち遅れによって形成されてなかったので、農村に根拠を求めたんだよ。だから農村信仰になる。『ぽろぽろ』もそういう高畑さんの思想に基づいて作られているから「農村は素晴らしいところ。人間が人間らしく生きる根拠はそこにしかない」という部分がむき出しになっている。

――公開時のパンフレットに高畑さんは、「自己確立のために自己を対象化できる最も基本的な試金石は、人間の営みの根本をいまなお伝える田舎にあると確信する」なんて書いてますね。

押井 それはもうプロパガンダ。インテリが好きそうな脅迫だよ。


押井監督はハッキリと『おもひでぽろぽろ』はインテリ共産主義者の農村信仰プロパガンダであると断じております。確かに、高畑監督は生前共産主義に傾倒している言動が頻繁に見られたため、この発言は彼をよく知る押井監督にとっては確認ある意見なのだと思います。

『おもひでぽろぽろ』で描かれている農村は美化されたものである、と斬っているのです。これには実は同意する方が多いのではないでしょうか?これゆえ『おもひでぽろぽろ』を好きになれない方は実際に一定数いらっしゃるようです。

さらに押井監督は以下のように強く断じます。


――ちなみに鈴木さんは「高畑勲と宮崎駿のふたりは、いつの時代も流行に背を向ける。そこに生きるヒントがある」と言ってますね。

押井 ただの反動です。確かに時代に背を向けているけど、それは反動思想として。高畑さんを語るときに使わなきゃいけない言葉は「クソインテリ」です。でも、日本のインテリはみんな同じパターン。自分が生きて来た自己史のようなものをもたないし、そこに立脚してものを考えようとも全然思わない。それこそが高畑さんで、だから「クソインテリ」なの。『火垂る』から知性と教養だけで映画を作るようになって、次の本作では結論から遡って映画を作っている。そうなると、もはや映画監督とは言えない。プロパガンダを発する文化人ですよ。


「クソインテリ」、非常に苛烈な言葉です。しかし、これはやはり高畑作品を嫌う人にとっては胸がすく発言なのではないでしょうか?

続いては『平成狸合戦ぽんぽこ』についての発言をご紹介します。


押井 (前省略)高畑さんは基本、『御伽草子』や『鳥獣戯画』のほうが好きで、ダンゼンそっちのほうの造詣が深い。だから得意分野のはずなのに、ファンタジーとしても喜劇としてもまったく成り立っていないでしょ。だから、僕が思うに、インテリが喜劇やギャグをやろうとすると笑えないという典型なんじゃないか。つまり、教養が邪魔しちゃうんだよ。

――高畑さんの話のときは必ず、その教養が出てきますよね。

押井 だってそうなんだから。これ観て笑えた?

――いや、まったく。

押井 喜劇を目指した以上は笑わせなきゃいけないのに。高畑さんのことだから、タヌキのお勉強もキッチリやったはずだし、タヌキにゆかりのある各地の大御所タヌキを3匹登場させているにもかかわらず、何をさせたかったのかさっぱり判らない。彼らはほぼストーリーに関与してないよね。


ここで言及されている3匹の大御所タヌキについて、イマイチ思い出せない方のために画像を載せておきます。

屋島の禿、阿波の金長狸(六代目)、松山の隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)

「インテリが喜劇やギャグをやろうとすると笑えない」という視点は、非常に興味深いものであると言えます。もちろんこれを「偏見」とみなすことは可能ですが、皆さんも経験則として密かにそう思ってるフシはあるのではないでしょうか?(こっそりと)

そしてこの話題は、やや違う論があってからこう続きます。

押井 各地の古ダヌキ3匹が出てきた理由は結局判らず、しかもそのおかげでテンポが落ちる。というか、映画全体にも言えるんだけど、テンポというものがこの作品にはないし、メリハリもない。

――時間軸が判らないですよね。四国や佐渡の長老を招集に行って、どれくらいして連れて来たのかも判らない。

押井 さっき言った玉三郎というキャラクターも、出向いた先で結婚したり、何をしているのか、何がしたいのか、判らずじまい。そういう細かいことを言い出したらきりがないよ。

――私は下ネタが多いのに驚きました。タヌキの八畳敷きとか、実際にやられるとドン引いちゃったんですけど。

押井 意外に下世話。だから思うんだけど、インテリがギャグを目指すと笑えないだけじゃなく、なぜか下品になっちゃうんだよね。土俗的な笑いというのとも違う。今村昌平じゃないんだから。

――『にっぽん昆虫記』みたいな?

押井 そうそう。そこまでは絶対に行けない。今村昌平はそれができる下地をもっているけど、高畑さんはもっていないから無理。


ここであえて押井監督に個人的な反論をするとすれば、『ぽんぽこ』に果たしてテンポは必要だったのか?という点があります。「3匹の大御所タヌキ」の必要性に関しては、微妙なところです。どうしても彼らでないといけなかったのか?と言われれば、それは分かりませんが、私見では、彼らが出てきても人間には叶わなかったという悲壮感を演出するために必要なキャラクターだったと思いますし、妖怪大作戦を結構するための説得力を持たせるためのキャラクターだったとも言えると思います。

ただし、タヌキたちが陰嚢を広げて攻撃するシーンなどにつきましては、確かに私は笑えませんでしたので「インテリがギャグを目指すと笑えないだけじゃなく、なぜか下品になっちゃう」というのは一部同意できる点ではあります。

総論として、押井監督は『ぽんぽこ』を“おざなり”と評しています。

以上、ごく一部の抜粋ではあるものの、かなり辛辣なのがご理解いただけたのではないでしょうか?(ちなみに『ホーホケキョ となりの山田くん』に関しては「(一般的な映画の)上映時間104分は普通だけど、本作に関しては永遠に感じるほどだった」と酷評しています)

私はもちろん、このようなブログを作るくらいですのでジブリの作品は大好きです。しかし、かと言って「ジブリ嫌い」「面白くない」と言う人を非難しようという気は起こりませんし、好き・嫌いは自分ではどうしようもない感情だと思いますので、それは仕方のないことだと考えます。

そして押井監督のように、ダメだと思ったものには正直に「NO」を突きつける姿勢は(それが的を射ている限り)時として必要な姿勢であるとも考えます。ですから、私はこの本を非常に楽しみました。このブログを読んでくださった方も、「ただボロクソに言ってるだけなら興味ない」と思わずに、試しに是非読んで頂きたいです。

もちろん、私が紹介した文章はこの本のほんの一部分であり(できるだけ誤解を招かないような切り取り方をしたつもりですが)、押井監督は褒める所はちゃんと褒めており、それは時として非常に独創的だったり、鋭かったりもします。その点でも、読む価値がある一冊です。

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