ジブリ版『ゲド戦記』における大きな疑問。
なぜアレンは父親を殺したのか?
この展開は原作にはありません。そして作中でもその理由はハッキリとはしていません。なぜなのでしょうか?その意外な理由は、書籍『ジブリの教科書14 ゲド戦記』 (文春ジブリ文庫)に収録されているインタビューに書かれておりましたので、ご紹介します。
以下、その引用です。
ーーアレンが父親を刺して国を出るという展開は、原作との大きな相違点でした。この発想はどこから?
「きっかけは、鈴木プロデューサーの『この子は父親を殺しちゃうんだよ』というひと言です。鈴木さんはきっと、ドラマチックな展開を求めていたんだと思います。でも僕はそれを聞いて、『そんなことするんですか?』という驚きもありましたが(笑)、同時に『ああ、アレンはこういう子なんだ』とすごく合点がいったんですよ」
「きっかけは、鈴木プロデューサーの『この子は父親を殺しちゃうんだよ』というひと言です。鈴木さんはきっと、ドラマチックな展開を求めていたんだと思います。でも僕はそれを聞いて、『そんなことするんですか?』という驚きもありましたが(笑)、同時に『ああ、アレンはこういう子なんだ』とすごく合点がいったんですよ」
理由は鈴木敏夫プロデューサーの一言でした(笑)しかし、吾朗さんも合点がいってしまいます(笑)インタビューはこう続きます。
ーーアレンが父親を刺した理由が曖昧模糊としていて、わかりにくい気もしました。その分、現代的でもあるとは感じましたが……。そのあたりについては、どうお考えなの でしょうか?
「若い人には、おそらく十分わかってもらえるだろうと思いますが......。アレンは別に、 父親を憎んでいるとか、嫌いとか、そういうことではないんです。たぶん尊敬もしているだろうし、好きでもある。だけど、自分が陥っている閉塞感やがんじがらめな気分が抑えきれなくて暴走する時に、その矛先が誰に向かうのか?自分を取り巻いている隙間のない世界、そのある種の「象徴」が、父親だと思うんですよね。一番近しくて、なおかつ、社会を象徴するものとしての父親。曖昧な不安が暴発する時に、そこにエネルギーが向かった。今の自分たちを取り巻いている状況と重ねると、たぶんそういうことではないかと、自分なりに理解しています」
「若い人には、おそらく十分わかってもらえるだろうと思いますが......。アレンは別に、 父親を憎んでいるとか、嫌いとか、そういうことではないんです。たぶん尊敬もしているだろうし、好きでもある。だけど、自分が陥っている閉塞感やがんじがらめな気分が抑えきれなくて暴走する時に、その矛先が誰に向かうのか?自分を取り巻いている隙間のない世界、そのある種の「象徴」が、父親だと思うんですよね。一番近しくて、なおかつ、社会を象徴するものとしての父親。曖昧な不安が暴発する時に、そこにエネルギーが向かった。今の自分たちを取り巻いている状況と重ねると、たぶんそういうことではないかと、自分なりに理解しています」
ーー予告編では「父さえいなければ、生きられると思った」というキャッチコピーも出 てきました。非常に意味深で、思い切ったコピーだと感じましたが(笑)。
「誤解を受けちゃいますね(笑)、『これ、僕のことのように思われてしまうじゃないで すか、鈴木さん』てね。まあ個人的なことは別にして、今いったように、その想いは憎 しみから発するものではないんですよ。『父さえ』と言ってはいるけれど、父親にいじめられたとか、スパルタ教育で抑圧されたとか、そういうことではない。自分を取り巻 くものの象徴がたまたま父親で、『これさえ外してしまえばすべてがばっと開けるん じゃないか』と感じる、そういう気分ですよね。『この人さえいなければ、何もかもう まくいくはずだ』と思ってしまうことって、誰にでもあるじゃないですか。そういう意味では、キャッチコピーとしては納得しました。ただ、僕のことだと思われるのは困る から、『僕は父がいても生きていけますよ』とは言いましたけど(笑)」
とはいえ、原作にない「親を殺す」という展開はなかなか納得しづらい気がします。吾朗さん、やはり宮崎駿という偉大な親に対する「閉塞感」はあったのだと思います。偉大な親がいるという閉塞感…だからこそ、この「父殺し」の展開に納得したのでは!?
また、別のところではこう言っています。
ーー映画の冒頭で、アレンが父親を刺すシーンがありますよね。鈴木プロデューサーの 提案だったそうですが、それについてはどう考えていたんですか。
「自分も含めてですけど、やっぱり親の影が大きすぎて、そこから逃げ出したいと思っている子が多いというのは感じていました。だから、最初はアレンが逃げるという設定にしていたんです。そうしたら、鈴木さんから『それじゃ親父から逃げるみたいでよくないよ。ここは刺さなきゃ』と言われて、『え、刺していいんですか?』みたいな感じで、要はそそのかされたという(笑)」
ーー吾朗さん自身、メタファーとしてそこで父親を殺すことになった。
「いや、みなさんがおっしゃるほど重くは考えてないんです。その衝動はみんなが持っているものだし、単に『親憎し』ということじゃない。自分で自分をコントロールできなくなる瞬間というのが、若いときにはあるじゃないですか。なぜそんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からない.........そういうところから主人公が出発する物語もおもしろいんじゃないかと思ったんです」
ーーたしかに、映画のアレンは行動原理がよく分からないキャラクターでした。
「実際、そういう子がいっぱいいたからですよね。その後、若い人たちの雰囲気も変わってきていると思うので、いま作るとしたら、そこはすこし変わってくるでしょうけど」
「自分も含めてですけど、やっぱり親の影が大きすぎて、そこから逃げ出したいと思っている子が多いというのは感じていました。だから、最初はアレンが逃げるという設定にしていたんです。そうしたら、鈴木さんから『それじゃ親父から逃げるみたいでよくないよ。ここは刺さなきゃ』と言われて、『え、刺していいんですか?』みたいな感じで、要はそそのかされたという(笑)」
ーー吾朗さん自身、メタファーとしてそこで父親を殺すことになった。
「いや、みなさんがおっしゃるほど重くは考えてないんです。その衝動はみんなが持っているものだし、単に『親憎し』ということじゃない。自分で自分をコントロールできなくなる瞬間というのが、若いときにはあるじゃないですか。なぜそんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からない.........そういうところから主人公が出発する物語もおもしろいんじゃないかと思ったんです」
ーーたしかに、映画のアレンは行動原理がよく分からないキャラクターでした。
「実際、そういう子がいっぱいいたからですよね。その後、若い人たちの雰囲気も変わってきていると思うので、いま作るとしたら、そこはすこし変わってくるでしょうけど」
「みなさんがおっしゃるほど重くは考えていない」とはいうものの、「自分も含めてですけど、やっぱり親の影が大きすぎて、そこから逃げ出したいと思っている子が多いというのは感じていました。」とあるように、少なくとも逃げ出したいという気持ちはあったようです。父親殺しは鈴木プロデューサーの意見でしたが、やっぱり、内心吾朗さんは同意していたのかも?本当に嫌ならそんなシーン入れませんよね?(笑)
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