2023-07-17

ミッキーマウスより先に作られ、奪われ、やがて忘れ去られていった悲劇のキャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」


ディズニーキャラクターのオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットをご存知でしょうか?


ディズニー好きの方なら彼をよく知っていると思いますが、そうでない方は、一見ミッキーによく似た謎のマイナーキャラクターだとしか思わないのではないでしょうか?実は彼は、ミッキーマウスより先にウォルト・ディズニーによって作られていたキャラクターでした。

以下が、ディズニー公式によるオズワルドの紹介動画です。


このように、ミッキーより先に作られていたのに一般的な知名度がはるかに劣るオズワルド。一体、なぜここまで知名度に差がついているのでしょうか?そこには、キャラクターの権利を巡る悲劇がありました。今回は、このオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットが長い間忘れさられていた理由と経緯をご紹介します。


オズワルド誕生


オズワルドが長い間忘れ去られる理由となった出来事は、以下の書籍『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』に掲載されていますので、主にこちらから引用していきます。




まず前提として、1920年代初頭のウォルト・ディズニーは、マーガレット・J・ウィンクラーという映画プロデューサー、配給者、アニメーターを掛け持っていた女性に見出され、彼女と婚約者のチャールズ・ミンツが経営している映画会社「MJウィンクラー・スタジオ」との契約で、1923年から『アリス・コメディ』という実写を交えたアニメーション作品を制作していました。この作品は1927年まで続きましたが、ウォルトは2年経った頃には既にマンネリに陥っていると感じていたようです。そして、『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』で以下のように続きます。

 《アリスコメディー》がいきつくところまでいったと思われる一九二六年の末のことだった。ユニバーサル映画社の創立者で野心家のカール・レムリが、ウサギを主人公にしたシリーズ漫画が欲しいとミンツに言ってきた。そこでマーガレット・ウィンクラーが夫のミンツに、そのシリーズを《アリス》に代わるものとしてディズニーにやらせてみてはどうかと提案したのである。この新企画に張りきったウォルトは、漫画化したウサギのおおざっぱなペンシル・ スケッチを何枚か送った。そしてスケッチに添えて、「この絵が貴殿のお考えになっているものと違うということであれば、ご連絡ください。もう一度やり直します」と書いた。

このウサギを使ったアニメーションのアイデアがユニバーサル社に承認され、当時から既に自らのスタジオを持っていたウォルトは、オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットという名のウサギのキャラクターのシリーズを制作し始めることになりました。(ちなみに「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」という名を与えたのはチャールズ・ミンツだったそうです)ここに、晴れてオズワルドというキャラクターが誕生したのです。


大人気キャラクターに


そして1927年4月、オズワルド作品の第一弾『可哀そうなパパ』が完成しましたが、ユニバーサル社の映画取引所の検討委員会はこの作品の出来に満足しませんでした。そこでウォルトは仕事仲間であり親交の深かったアブ・アイワークスとともに日夜検討を重ね、第二作『トロリー・トラブルズ』を完成させました。

『トロリー・トラブルズ』公開当時のポスター

すると、このトロリー・トラブルズは公開するや大ヒットを飛ばし、専門家や批評家からも高評価を得ます。当時のディズニーはこのような状況だったそうです。

 オズワルドの人気が上昇したおかげで、このキャラクターを商品に使いたいという申し込みが業者から早々と入った。
 だが、ディズニーはこうしてオズワルドが利用されることに対して、何も著作権料を要求しなかった。この漫画シリーズにとっていい宣伝になると考えていたからである。
 ウォルトがアニメーターをさらに雇い入れると、アブを筆頭とするスタッフは二週間に一本という速いペースで《オズワルド》漫画を制作しはじめた。ユニバーサル社とミンツはそのできばえに満足したのだろう。映画が仕上がるごとに、ディズニーのもとには二千二百五十ドルの小切手が即座に送られてきた。ウォルトとロイは、今後の明るい見通しに元気を出した。
※ロイとはウォルトの兄のことです。

オズワルドの作品は現在パブリックドメインであるため、YouTube等で合法的に視聴することが出来ます。

■トロリー・トラブルズ



オズワルドの大ヒットで順風満帆かと思われたウォルトでしたが、不穏な空気が流れ始めます。

 《オズワルド》の契約は一九二八年の二月で切れることになっていた。ウォルトは、ミンツやユニバーサル社との新契約を交渉するため、麦リリーと一緒に汽車でニューヨークに向かった。 ロサンゼルスを出発する前、ウォルトは何か厄介なことが起こりそうだということをアブの口からそれとなく聞いていた。アブが言うには、二週間おきにスタジオにやってくるミンツの義弟、ジョージ・ウィンクラーという人間はどうもくさい。仕上がった《オズワルド》の映画とアブが描いた劇場用ポスターをただ受け取るだけでなく、何かほかにも用事を足しているらしい、というのである。ウィンクラーがスタジオでほかのアニメーターとよくひそひそ話をしているのを、アブは疑惑の眼で眺めていたのだった。が、ウォルトはアブの懸念を本気にせず、楽観的な顔でそのままニューヨークに発った。


突然の別れ


悲劇は突然訪れました。

 《オズワルド》の新契約の交渉は、四二番街にあるミンツの事務所で開始された。ウォルトはまず、このシリーズがまぎれもなく大ヒットしている事実を挙げて、一本当たりの値段を今の二千二百五十ドルから二千五百ドルに上げてほしいと要求した。
「いや、千八百ドルだな」
 ミンツは答えた。
〈千八百ドルだって? それじゃ、スタジオは赤字じゃないか――〉 ウォルトは説明を求めた。
 それに対し、ミンツは意外なことを言いだした。
「君がこの値段を呑むか、さもなければ僕が君の会社を乗っ取るか、それのどちらかだ。君んところの主だったメンバーは、みんなこっちに頂戴してるんだよ」
 ウォルトは自分の耳を疑った。〈このミンツがディズニーのアニメーターたちをこっそり引き抜く陰謀をたくらんだって? それに、カンザスシティで漫画の手ほどきをしてやったあのスタッフの面々が自分を捨ててミンツに寝返るなんて――〉 ウォルトは、この最終通告を考える時間がしばらく欲しいとミンツに言った。そして、ホテルに駆け戻るとロイに電話をかけ、ミンツの爆弾宣言を伝えた。ロイは早速、社内を調査した。その結果、アブ・アイワークスを除くほとんど全員のアニメーターがミンツに忠誠を誓ったことが明らかとなった。

チャールズ・ミンツが一体なぜ突然このような裏切りとも思える行動を取ったのかは調べても分かりませんでした。ですが、少なくともディズニー側からの視点では、このように語られています。以下、続きます。

 ミンツはウォルトに返答を迫ったが、ウォルトは時間をかせごうとした。業界紙の編集長であるアリコートが自分の味方であることを知ったウォルトは、この男が仲介の労を取ってくれたフォックス社やMGM社との話し合いに望みをかけていたのだ。だが、両社とも《オズワルド》の配給に興味を示さなかった。切り札は今や、ミンツの手中にあった。契約により、《オズワルド》 映画はユニバーサル社の所有物であり、ウォルト・ディズニーのものではないのである。ウォルトはがっくりと肩を落とした。あれだけ心血を注いだ貴重な作品なのに、それが自分のものでないとは――。 ウォルトはこのみじめなニュースを妻に伝えながら自らの心に誓った。 
〈今後二度と、他人の下で働いてやるものか〉

察しの良い方ならば、ここまでのエピソードからなぜディズニー社が著作権に関して厳格とも言われる態度を取るのか、お分かりになったのではないでしょうか?自分たちが心血を注いだキャラクターが「著作権」によって自分のものではないという現実を突きつけられたウォルトにとって、それは一生忘れがたいものになったでしょう。そして…

 ついにウォルトは敗北を認めざるを得なくなった。彼はミンツの事務所に行き、提案された条件を呑むことはできないから自分は《オズワルド》を手放す、と伝えた。ウォルトの顔には、意外にも恨めしい表情がなかった。 彼は、年上のミンツに忠告さえ与えてやるほど、余裕をもっていた。
「あなた、せいぜい自分を守りなさいよ。うちのスタッフが僕にこういうことをしたんなら、あいつらはあなたにも同じことをやるでしょうからね」

やがてこのウォルトの言葉は実現するそうですが、こうしてウォルト・ディズニーはオズワルドを描く機会を奪われてしまいました。ここで重要なのは、ウォルトは最初からオズワルドの著作権を持っていなかった、という点です。そしてそれが悪用された時にどのような意味を持つのか、ウォルトもこの時は分かっていなかったのでしょう。ミンツの行いは卑劣に思えますが、一方で法に触れているわけではありません。ウォルトにとってはこれが手痛い経験になったからこそ、キャラクターの著作権は自らのスタジオで保持し、他者には渡さない、というスタンスが作られることとなったのでしょう。

そしてウォルトは、アブとともにミッキーマウスを生み出すことになったのです。


忘れ去られていくオズワルド


その後、ウォルトの元を離れたオズワルドはどうなったのか?ここからはゲームソフト『ディズニー エピックミッキー ~ミッキーマウスと魔法の筆~ 』のコミカライズ版の巻末にあるオズワルドのキャラクター紹介から引用していきます。


ウォルトとアブがミッキーマウスを生み出し、ミッキーが大人気キャラクターになっていく間、オズワルドはユニバーサルで作品が作られていました。

実は、ファンがすぐに彼をわすれたわけではなかった。 ユニバーサル・スタジオのアニメーターであり監督でもあるウォルター・ランツは、引き続きオズワルドのアニメをつくったし、オズワルドのコミックは1960年代まで出版されていた。しかし、しばらくしてランツは、オズワルドの見た目をすっかり変えてしまったんだ。
(中略)
もう最初とは似ても似つかない姿になってしまった。 

以下がユニバーサルで最初に作られたオズワルドの作品です。


このように、ユニバーサルが制作していたオズワルドも、当初はウォルトのオズワルドとかけ離れたものではなかったようです。すっかり変わってしまったオズワルドの姿が分かる参考作品として、オズワルドの二度目のコミックス化である、1942年から1962年まで連載されたデル・コミックスの『ニュー・ファニーズ』があります。以下が、そのオズワルドのコミックの表紙です。


そして以下が1943年に制作されたオズワルドのアニメーションです。


ご覧の通り、名前が同じなだけのほぼ別キャラクターになっています。また、以下のようなデザインのオズワルドもあったようです。


こうして人気も無くなり、徐々に人々の心に残らなくなっていったオズワルドは、コミックもアニメも終了し、ユニバーサルの人気キャラであるウッディ・ウッドペッカーのコミックやアニメに少しだけゲスト出演した後、1970年代を最後に消えていきました。

そこからは彼の情報はほとんどありません。ごくわずかに、どこかにグッズがひっそりあったりするのみ。文字通り忘れ去られたのです。ウォルトも彼の権利を手に入れることがないまま1966年に亡くなりました。


2006年、ようやく…


長い忘却期間の後、転機は訪れます。2006年2月、ディズニーのCEOであるボブ・アイガーはNBCユニバーサルとのトレードで、オズワルドの権利やウォルトが手がけたオズワルドの27つの短編を含む多くのマイナー資産の取得に動き、そのままオズワルドの権利をディズニーのものとしました。

ボブ・アイガーがオズワルドを取り戻したかったきっかけとして、当時制作予定だったゲーム『エピックミッキー』にオズワルドを登場させたかったというのが理由のひとつとしてあるそうですが、とにかく、ここにやっと、そして初めて、オズワルドはディズニーのものになったのです。


悲しき初対面「ミッキーが憎い」


さて、ゲームであるエピックミッキーでディズニーへの帰還を果たしたオズワルドですが、作品では「ウェイストランド」という忘れ去られたキャラクターたちが住む場所にいました。そして、エピックミッキーのコミカライズ版では、忘れ去られた自分に対し、世界的な人気を博したミッキーへの悲しい嫉妬と憎しみを見せる、初めての出会いを経験します。

※オズワルドが乗っているのはミッキーの捨てられた彫像です。
「しあわせそうに見えるかい? ぼくはオズワルドの残りかすだ 
もっとはっきり言うなら…きみが出てきたあとの残りかすだ」

「そうさ! きみには帰る場所がある! ぼくにだってむかしはあったんだ!
たいしたものじゃないけど ぼくらの場所だった!
きみには…きみにはなんでもある! 家族! 友だち! ファン!
ファンはぼくをわすれた! でも きみのためには なんでもおしみなくつぎこんだ!
こんなガラクタまでよろこんで買ってさ!」
 
そして、ミッキーと協力しなければいけない場面では、こう言います。

「いやだ! ミッキーとぼくだなんて! 
すぐにミッキーだけの手がらになっちゃうんだから!
こいつはぼくから ファンも 家も 人生も取り上げたんだ!
ぼくにのこったのはウェイストランドのヒーローの座だけ!
こんどはそれさえ取り上げるつもりかっ!!」

最終的には和解するミッキーとオズワルドですが、少なくとも最初はこのような憎しみを見せていました。

最後は和解

この顛末をまとめた動画も作られていました。



※ちなみにですが、この動画内にあるウォルトの言葉「いつかオズワルドを取り戻せ」は、あくまでそう言ったのでは?という噂なので、この点はご留意ください。


そして、2022年12月、ディズニー制作としては94年ぶりに、オズワルドの短編アニメが作られました。



※動画に登場する猫のキャラクターは、ガールフレンドのオルテンシアです。


このように、2006年に帰ってきているにも関わらず、まだまだ露出は少ないオズワルド。失った70年を取り戻せているとは思えない状況です。

果せなかった再会